暫定龍吟録

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祈りの日和山 -東日本大震災から2カ月-

 今日5月11日で、東日本大震災から2カ月になる。

 今日の河北新報が伝えるところによれば、5月10日時点で、死者・行方不明者の数は約2万4千人超、避難生活を送っている人は12万人近くにのぼるという。

 私はこの2カ月間、ずっと震災のことを考えていた。あの日3月11日に一瞬にして津波に飲まれていった人たちのこと、今なお行方不明の人たちのこと、そして辛くも生き延びたけれど家族や友人を失ったり、家を流されてしまって避難生活を余儀なくされている人たちのこと。

 私は東北地方についていろいろ調べているうちに、「日和山(ひよりやま)」という山が存在することを知った。その山は海岸沿いの川の河口付近に立っており、あの日巨大津波に襲われた付近の住民たちは一斉に高台である日和山を目指したと思われる。

 「日和山」という名前は、漁に出るときに、そこに登って天候を見極めるところから、その名がついている。
 調べてみると、「日和山」という名前の山は全国にいくつもあることがわかった。そして3月11日の大震災で、特に宮城県内にある3つの日和山が、甚大な被害を被った。


・3つの日和山

 宮城県内には、日和山と呼ばれる山が少なくとも3つある。

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(クリックで拡大)

 上記は、宮城県の地図で、一番南にあるのが名取市閖上(ゆりあげ)地区にある日和山。真ん中が仙台市宮城野区蒲生地区にある日和山。そして一番北にあるのが石巻市の日和山である。何れも川の河口付近に立っている低山であるという共通点がある。


・名取市閖上の日和山

 名取市閖上地区は、津波によってほぼ全滅と言っていい被害を受けた。この動画を見ていただければ、その惨状のひどさがわかるだろう。



 ここの日和山は、元々大正時代に人工的に作られた小山で、山と言うよりは高台に近いようだ。津波をもろに被り、頂上にあった富士主姫神社は消滅したとも聞く。
 この日和山で5月8日には、「鎮魂と連帯の響き」と題するコンサートが開かれた。そして河北新報が伝えるところによれば、山の上には、「一人じゃない」「みんなで手を取って」などと書かれた標柱が幾つも立ち並んでいるという。名取市閖上地区の住民にとって、日和山はまさに祈りの山になっているのである。


・仙台市宮城野区蒲生の日和山

 宮城野区蒲生地区もまた、壊滅的な被害を受けた。

 ここの日和山は明治時代に人工的に作られた標高6mほどの小山で、「元日本一低い山」だった。ここの日和山は今回の地震で完全に消滅してしまったそうだ。
 山がなくなってしまった跡地から撮った写真がこちらのブログに載せられている。被害のひどさをうかがい知ることができる。

旅→日和山 仙台市宮城野区蒲生 - みなとまち新潟 日和山 五合目から - Yahoo!ブログ


・石巻の日和山

 石巻という地名は、今回の震災で何回もニュースで聞いた人も多いだろう。かなり早い段階から被害の大きさが伝えられていた街だ。この石巻市の旧北上川の河口付近に、日和山がある。

 三陸地方の大漁歌「斎太郎節」で、「その名も高い日和山」と歌われているのは、この石巻の日和山である。なぜ「その名も高い」のかと言うと、江戸時代に松尾芭蕉が立ち寄ったことで有名になった。

 ここの日和山は、標高は約60mくらいあり、3つの日和山の中では、唯一、山らしい山と言える。津波は、この日和山は飲み込まなかった。
 そして実際、この山に逃げてきた人たちは助かった。だが、助かったのは日和山の上だけ。下の世界は瓦礫の山と化した廃墟だった。





・祈りの日和山

 5月3日、朝日新聞がこんなニュースを伝えていた。

「5・1 日和山(ひよりやま)お花見プロジェクト」。こう銘打った花見の会が1日、宮城県石巻市の桜の名所・日和山公園で催された。同市出身の東京の団体職員、雁部智博さん(31)が「前を向いて歩き出すきっかけに」とブログなどで呼びかけ、各地から延べ約200人が集まった。


 多くの石巻市民にとって、日和山は祈りと復興の象徴のような存在になっているのだろう。
 3つのそれぞれの日和山、またはその跡地が、鎮魂の祈りを捧げる場になっている。

 「日和」とは、本来、海上の天気や空模様を意味する言葉だが、「よい天候」という意味もある。よく聞くことわざの「待てば海路の日和あり」とは、まさに良い天候の意味である。

 復興には長い時間がかかる。だが今はまだ苦しい渦中にあるかもしれない被災者の人たちが、いつか「良い日和」に出会えるであろうことを私は信じている。