暫定龍吟録

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オバケが怖くない私

 「オバケが怖くない」なんて、まるで小学生か幼稚園児の自慢みたいなタイトルだ。
 だが、さういふ自慢話ではない。

 私は今もオバケがあまり怖くないし、子どもの頃も怖くなかった。オバケ屋敷も子どもの頃行ったことがあるが、そんなに怖くはなかった。強がりで言ってるのではない。
 なぜ、私はオバケが怖くないのだらう。それはずっと小さい時からの疑問だった。

 最近、ある読書会で、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』と泉鏡花の『草迷宮』を立て続けに読む機会があって、あらためて、オバケの問題と自分はなぜオバケが怖くないのか、といふことについて考へてみた。


・「隈」とオバケ

 『陰翳礼讃』を読んでゐて、気に留まった一つのキーワードがある。「隈(くま)」といふ言葉だ。

要するにたゞ清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈を生むようにする。にも拘らず、われらは落懸のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを填めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。


そして縦繁の障子の桟の一とコマ毎に出来ている隈が、あたかも塵が溜まったように、永久に紙に沁み着いて動かないのかと訝しまれる。



 「隈」とは、手元の国語辞典によれば、
1、曲がって入り込んだ所。また、奥まって隠れた所。物陰。片隅。
2、光と陰、また濃い色と薄い色とが接する部分。陰影。
3、疲れたときに目のまわりにできる黒ずんだ部分。
などとある。
 今では、3の意味の「目の下に隈ができてゐる」などといふ使ひ方しかしないだらう。しかし本来は奥まって隠れたところを意味するのだ。片隅の奥の暗くてよく見えない部分、そこが「隈」で、大きな隈は「大隈」だ。

 谷崎は「寡聞な私は、彼等に蔭を喜ぶ性癖があることを知らない」と言って、西洋の明るすぎることを批判する。
 そしてオバケについてかう言及してゐる。

昔から日本のお化けは脚がないが、西洋のお化けは脚がある代りに全身が透きとおっていると云う。そんな些細な一事でも分るように、われわれの空想には常に漆黒の闇があるが、彼等は幽霊をさえガラスのように明るくする。



 つまり、日本では暗闇があるからこそオバケが存在する。日本のオバケに脚がないのは暗くてよく見えないからである。

 日本において、この本に描かれてゐるやうな隈、暗闇、陰翳が失はれたのは、いつ頃のことだらうか。 
 『陰翳礼讃』は昭和8年に書かれて、この時代にすでに谷崎は「われわれが既に失いつゝある陰翳の世界」と言って嘆いてゐる。しかし私は、かうした陰翳が決定的に失はれたのは昭和30年代、40年代の高度経済成長期であると思ふ。不可逆的に何かが失はれた時代。日本にずっと昔からあった、おそらく「まんが日本昔ばなし」に出てくるやうな世界が完全に失はれたのは、高度経済成長期であると言って間違ひない。
 哲学者の内山節は、著書『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』の中で、昭和40年頃を境にして日本の社会からキツネにだまされたといふ話が発生しなくなった、と言ってゐる。
 おそらく、さうなのだらう。キツネにだまされたり、タヌキに化かされたり、幽霊、妖怪、魑魅魍魎、さういった非科学的なものは、すべてこの時代に消えて行ったのだ。
 そしてそれは、日本人の住まひの構造や生活スタイルが激変したことと無関係ではない。家の中はすみずみまで蛍光灯で明るく照らされ、所謂、「隈」がなくなった家では、オバケはその存在場所を失った。外も24時間、街灯が煌々とついてをり、妖怪たちも住処を失った。


・泉鏡花とオバケ

 泉鏡花は、谷崎潤一郎よりも13歳ほど年上だが、ほゞ同時代を生きた作家といっていいだらう。鏡花が『草迷宮』を書いた明治末期から谷崎の『陰翳礼讃』が書かれた昭和初期までは、旧いものと新しいものが鬩ぎ合ってゐた時代だと言へる。オバケのやうなものを「非科学的だ、文明開化に反するものだ」として打ち棄てたい気持ちもあり、それでもやっぱり怖いものは怖いといふ気持ちもあり。
 鏡花は、どちらかと言ふと、積極的にそのやうな不可思議なものを好んだ。その怪奇趣味の作風で幻想文学の先駆者と評されてゐる。

 今日9月7日は、その泉鏡花の命日。墓参りに行ってきた。

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 木陰に佇む泉鏡花の墓。


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 「鏡花 泉鏡太郎墓」と書いてある。鏡太郎は鏡花の本名。


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 裏に回ると、「幽幻院鏡花日彩居士」と戒名が彫られてゐる。この戒名は佐藤春夫が名付けたものだ。まさにこの「幽幻」といふ文字が、鏡花の趣味と作風とをよく表はしてゐる。


・なぜ子どもの頃の私はオバケが怖くなかったか

 Profile欄にも書いてゐるが、私は大都会育ちだ。24時間眠らないやうな大都会の街で育ち、実は大人になるまで真の暗闇といふものを知らなかった。「夜は暗い」といふことはもちろん知ってゐたが、1メートル前が見えないとか、自分の足下すら見えないなどといふ、「真っ暗闇」は経験したことがなかった。

 では、暗い所が怖くなかったかと言へば、そんなことはなく、やはり幼い子ども心に都会のかなり明るい道とは言へ夜道は怖かった。
 しかし幼い私がさうした夜道を一人で歩く際に怖かったのは、オバケではなかった。私は先の見えない暗闇から幽霊や妖怪が出てくるのではないかと恐怖したことはなかった。私が暗闇に潜んでゐると想定して恐怖してゐたものは、包丁を持った強盗とかピストルを持った誘拐犯とか、さういった類のものだった。
 私が恐れてゐたのは、不可思議な妖怪や幽霊などのオバケではなく、極めて現実的な「人間」だったのだ。

 見えないところには人間の想像力が働く。昔の日本、あるいは今でも日本の田舎では、さうした逞しい想像力がオバケを生み出してゐたことだらう。

 子どもの頃の私は、なぜオバケを怖いと思ったことがなかったのか。暗闇に隠れてゐたのは、なぜオバケではなくピストルを持った人間だったのか。

 その答へは、上記のことを併せて考へれば合点がいく。
 昭和30年代、40年代の高度経済成長期に、あらゆる所が光と明るすぎる照明に照らし出され、「隈」や「暗闇」、「陰翳」はどんどん消えていった。その高度経済成長期が終はった後に生まれ育った私、しかも日本の最も明るい大都会で生まれ育った私が、オバケを想像できなかったとしてもなんらをかしくない。私はオバケを見ることのできない環境で生まれ育ってしまったのだ。

 今年2011年は、3月11日の東日本大震災をきっかけに国を挙げての節電モードになり、この夏は、電車の中、駅の構内、街の中のいたる所で照明が落とされた。多くの日本人が「今までが明るすぎたんぢゃないか」と気付き、この控えめな明るさもまた良いと思った。
 「震災を良い機会に」などと言ふと不謹慎だが、この大震災をきっかけにして、多くの人が日本の暗闇、陰翳の良さを再認できたらよいと思ふ。もちろん被害が大きかった被災地では、電気も明るさも必要だが、都会の過剰な明るさはもっと落としていいだらう。

 そんなに照明を落としたら、また暗くて不便な生活に逆戻りするのではないかって?

 谷崎は『陰翳礼讃』の最後を次のやうに締めくゝってゐる。

まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。