暫定龍吟録

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311の痛恨 -東日本大震災から半年-

 今日で3月11日の東日本大震災からちょうど半年になる。

 私が今年書いたブログ記事は、東日本大震災関連のことが一番多かったかもしれない。
 なぜここまで東日本大震災のことに拘って書いてるのかというと、それは私にとって東日本大震災は痛恨だったからだ。

 1万人を超える死者、というのは信じられないことだった。
 たしかに、2004年にはスマトラ島沖地震で22万人以上の人が亡くなり、2008年には四川大地震で6万人以上の人が亡くなっている。しかしそれは発展途上国で起きた災害だったからだ。先進国ではどんな災害でも1万人を超える死者が出ることはありえない。そう思っていた。

 実際、日本では、死者が何千人、何万人という単位の災害というのは、昭和50年より前の言わば日本が発展途上国だった時代には起こっていたが、「先進国」になった昭和50年以降はまったく起こっていなかった。
 やはり先進国ではそこまで甚大な災害は起こらない。日本では死者が10人を超えたら「大災害」、100人を超えたら「甚大災害」である。それより上の1000人とか10000人というのは無い。子どもの頃からずっとそう思っていた。
 そう、平成7年までは。

 平成7年の阪神淡路大震災は衝撃だった。神戸はボロい田舎町ではなく、先進国日本の中でもかなり先進的な都会の街だ。それが6千人を超える死者を出したということは、私の住む東京ももし巨大地震に見舞われたら、似たような被害を受けるのだろうということがリアルに実感された。
 しかし私の心の中では、まだ阪神淡路大震災も「例外」として処理したい気持ちがあった。これはきわめて「特異」なことであって、こんな珍しいことはもう二度と起こることはないであろう、と。
 だからこそ、平成23年3月11日、大地震が起こったときも、最終的な死者数が阪神淡路大震災のそれを上回ることはないだろうと予想していた。それは3月11日の記事にも書いている。

 自分の見当が外れたこともさることながら、21世紀の現代、しかも先進国において、未だに1万人超えの大被害を出してしまったという事実が痛恨だった。

 私が今のところ一番恐れているのは、東京直下型地震だ。自分が住んでいるところだからでもあるが、何より桁違いに人口が多い。東京直下型地震の場合は、タイプとしては東日本大震災よりもむしろ阪神淡路大震災のような災害になるのだろう。津波よりも建物の倒潰や火事での被害者が多くなると思う。しかしもっと恐れているのは、亡くなってしまう人たちよりも、生き残った人たちの大混乱だ。東日本大震災でも、東京は死者数こそ少なかったが、交通、水、食糧、そして情報の面ではかなりの混乱に陥った。
 いつか来る「東京大震災」では、高度に発達した情報ネットワーク、情報インフラが却って仇となって、人々は大混乱、大パニックに陥るかもしれない。


 東日本大震災では、私は、「世界最大の防潮堤」などのハード面よりも、むしろ「日頃の心構え」や「的確で迅速な判断」のようなソフト面で助かった人々の事例に興味が行った。

 被害をゼロにする「防災」という考え方から、被害をなるべく小さく食い止める「減災」という考え方にシフトする話も最近聞くようになった。マグニチュード8とか震度7といった巨大地震が起こった場合には、被害をゼロにすることはできないかもしれないが、人間の知恵で、それもハード面よりもソフト面における対策において、被害を想定されたものよりもずっと小さくすることが可能なのではないかと思っている。

 具体的にどういった対策があるか。それはずっと考え中だ。気づいたことがあったら、また、おりおりブログに書いていこう。