暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

『カズイスチカ』に見る鴎外の「道」 -森鴎外生誕150年-

ougai150.jpg

 今年2012年は、森鴎外生誕150年の年。そして今日2月17日は鴎外が誕生してからちゃうど150年目の日にあたる(新暦で)。

 なので、地元の偉人、森鴎外について自分なりの思ひや考へを書き留めておかうと思ふ。


・私と鴎外

 私は鴎外をそれほど読んではゐないが、学生時代に『興津弥五右衛門の遺書』や『阿部一族』ほか数篇の短篇を読んだことがある。
 作品自体はあまり読んでなくても、鴎外といふ人に対しては、子どもの頃から相当親近感があった。

 「鴎外図書館」と呼んでゐた鴎外記念本郷図書館には何度も行った。建物全体がオンボロで、地下の書庫はすれ違へないほど狭くて薄暗くて、子ども心に「狭くて汚い図書館」といふ印象があった。でもどこか秘密基地のやうでもあった。
 この建物は今は取り壊されて跡地に「鴎外記念館」が建設中である(2012年2月現在)。

 鴎外が書いた作品の舞台は地元が舞台になってゐることが多く、想像力貧困な私でも容易に風景を想像することができた。
 特に『青年』などは、地元の街や道や坂の名前がふんだんに出てきて読んでゐて親しみを感じる。

 東大と根津神社の間に「S字坂」と呼ばれてゐる坂がある。名前の由来は鴎外が『青年』の中で「割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して」と書いてゐるところから来てゐる。
 最近TVでもお馴染みの東大のロバート・キャンベルさんは「僕はS字坂といふ名前はつまらない名前だと思ふ」と言ってゐた。たしかに英語圏の人からしたらこれほどつまらない名前はないだらう。別に鴎外のせゐではないけれど。「新坂」、「権現坂」の異称がある。

 文学者としては文豪と言はれてゐる鴎外だけれども、人としてはどういふ人物であったのか。私はあまり良くない噂も聞いてゐたけれど、やはり地元の作家である森まゆみさんは『鴎外の坂』の中で、子どもに優しい理想の父親に近い鴎外像をかいてゐる。


・『カズイスチカ』に見る「自分探しの旅」

 こゝ10年くらゐ、いやもっとだらうか。「自分探しの旅」といふ言葉を聞く。若者が、「今はこんなところでバイトしてゐるけれども本当は他にやりたいことがあって、でもそのやりたいことといふのは何なのか今はまだ見つかってゐなくて、だから今は本当の自分を探す旅の途中なのだ」といふやうな意味合ひで使はれることが多い。
 これは社会的背景から考へれば、こゝ15年くらゐの就職難とも関係があるだらう。なかなか安定した職業や好きな仕事に就きたくても就けない若者が多く、「まだ今は自分探しの旅の途中なんだ」と自分に言ひ聞かせるしかない社会状況がある。

 鴎外の『カズイスチカ』といふ作品にこんな箇所が出て来る。

花房学士は何かしたい事若(もし)くはする筈(はず)の事があって、それをせずに姑(しばら)く病人を見ているという心持である。(中略)始終何か更にしたい事、する筈の事があるように思っている。

(引用はすべて青空文庫から。)

 目の前のことではなく、もっと先に「何かしたい事」、「する筈の事」がある、と考へる若者の気持ちが描かれてゐる。若者はその「何か」が何であるかを考へる。

しかしそのしたい事、する筈の事はなんだか分からない。或時は何物かが幻影の如くに浮んでも、捕捉することの出来ないうちに消えてしまう。女の形をしている時もある。種々の栄華の夢になっている時もある。それかと思うと、その頃碧巌(へきがん)を見たり無門関(むもんかん)を見たりしていたので、禅定(ぜんじょう)めいた contemplatif(コンタンプラチイフ) な観念になっている時もある。とにかく取留めのないものであった。それが病人を見る時ばかりではない。何をしていても同じ事で、これをしてしまって、片付けて置いて、それからというような考をしている。それからどうするのだか分からない。


 つまり、今、目の前にある仕事は「仮」のことであって、「本当」の仕事、やるべきことはもっと先にあるのだ、といふやうな考へ方だ。
 
 しかし若者は、小さな宿場の医者として淡々と日々の仕事をする父の姿を見て思ひ知らされる。

この或物が父に無いということだけは、花房も疾(とっ)くに気が付いて、初めは父がつまらない、内容の無い生活をしているように思って、それは老人だからだ、老人のつまらないのは当然だと思った。そのうち、熊沢蕃山(くまざわばんざん)の書いたものを読んでいると、志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳(くしけず)ったりするのも道を行うのであるという意味の事が書いてあった。花房はそれを見て、父の平生(へいぜい)を考えて見ると、自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好(い)い加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。宿場(しゅくば)の医者たるに安んじている父の resignation(レジニアション) の態度が、有道者の面目に近いということが、朧気(おぼろげ)ながら見えて来た。そしてその時から遽(にわか)に父を尊敬する念を生じた。


 一見、つまらないことのやうに見える目の前の仕事も、それを全力でやってゐること自体がもう「道」なのだ、と。

 これは現代の若者にも通じる問題であると思ふ。
 「本当の自分」とか「本当の自分の人生」といふのはなにか遠い先にあるのではなくて、今生きてゐる日々がもう「本当の自分の人生」なのだ。
 「だから社畜の環境にあらうがなんだらうが、そんなの忍耐して働け」、と私は言ふつもりはない。むしろ逆で、「今」が本当の自分の人生であるからこそ、「今日」をより良くする道を探すべきなのだ。

 人生が良くあるためには「きっと来年は良くなるさ」ではなく、今日が良い日でなければならない。

 無論、今日が良い日でなかったから誰もが落ち込んでゐるわけだが、それでも人生が有限であることを鑑みれば、結果はどうあれ今を良くする努力はぎりぎりまで放棄するべきではない。


・鴎外の「道」

 鴎外がこのやうに「道」を捉へてゐたのかどうかは分からない。単に作品上のことだけかもしれない。
 『カズイスチカ』が書かれた明治44年には、鴎外はとっくに文章家としても医者としても十分な社会的名声を得てゐたし、そもそも鴎外は若い頃からずっとエリートコース、今で言ふところの「勝ち組」だったわけだから、少なくとも今時の「自分探しのバイトの若者」のやうな気持ちに沿って書いたのではないだらう。さうではなくて、エリートとして格好いい仕事をしてきた自分が、そのへんのつまらないやうに見える仕事もすべては「道」なのだ、といふことに気付いたその「気付き」を書いたものとして読むことができる。

 明治44年と言へば、鴎外49歳頃か。天命を知る齢に差し掛かってゐたのである。