暫定龍吟録

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東電バッシングへの違和感

 2011年3月の原発事故以来、東京電力に対するバッシングが止まらない。

 テレビや新聞、そして特にネットはどこを見ても東電に対する批判、非難の嵐である。

 しかし私はそうした東電に対する非難、バッシングに少しく違和感を感じている。

 原発問題は今もなお、多くの人々の関心が高いテーマだ。もうすぐ東日本大震災から一年になるが、「原発」という言葉はTwitterでは今も毎日のようにバズワードに上がっている。そして原発に対しては常に思想や感情を伴うことが多いので、激しい言葉とともに語られることが多い。

 原発に対する非難と東電に対する非難は必ずしも一致していない。そこのずれも含めて、東電バッシングの問題について震災一年になるのを機にあらためて考えてみたい。


・震災直後に盛り上がった「#toden_ganba」ハッシュタグ

 東日本大震災の直後の3月14日頃に、Twitterのタイムラインに「今の国民の気持ち」として、こんなツイートが流れてきた。

国民感情一覧w - 東電職員頑張れ #toden_ganba 枝野は寝ろ #edano_nero 管は起きろ #kan_okiro 自衛隊は食べろ #jieitai_tabero フジテレビは自重しろ #fujitv_jichou 石原黙ってろ #ishihara_damare


todenganba.png

 このツイートは、900人以上にふぁぼられ、800人以上の人にリツイートされた。この改変ツイートやFacebookやTumblrなど他サービスへの転載も含めれば、非常に多くのネットユーザーがこのツイートかこれと類似のツイートを見かけたと思う。
 特に当時テレビに出ずっぱりだった枝野官房長官を気遣った「#edano_nero」というハッシュタグは、普段ネットをあまり使わない層の人々の間にまで有名になった。

 私がこのツイートを最初に見たときの感想は「えっ、東電頑張れなの!?」というものだった。私は約1年前のこの違和感をはっきりと覚えている。「枝野寝ろ」とか他のハッシュタグはよいとして、「東電頑張れ」が「今の国民の声」としてRTされまくっていることに著しい違和感を覚えた。そして誰も「東電頑張れ」に対して異を唱えないのも不思議だった。
 「自分の感覚がずれているのだろうか?」
 元々、原発も東電も好きじゃなかった私は、原発事故があった後には当然、東電批判の言葉が流れて来ると予想していただけに、このハッシュタグは意外だった。


・原発擁護派も反原発派も東電バッシングへ

 しかし、この「東電頑張れ」という声は1カ月も長続きしなかった。その後、いろいろと杜撰な管理、対応が明るみに出るにつれ、世間の声は東電に対する非難、バッシングで一色になった。

 元から反原発派・脱原発派の人たちは東電への非難を強めた。原発の存在そのものに反対なのだからそれを維持・支持している東電に対して悪感情を持つのも当然だろう。

 だが一方で、原発擁護派もしくは容認派の人たちも東電バッシングを強めた。なぜだろう。

 同じ東電バッシングでも、反原発派のそれと原発擁護派のそれは性格を異にしていると思う。反原発派は原発そのものを推進している東電の思想や姿勢を非難している。原発擁護派は原発そのものには反対ではなく、それをきちんと管理できていない東電の「仕事ぶり」を非難している。

 原発擁護派の人たちは東電のどんなところを非難しているのか。
 ネットでいろいろな意見を見てきたが、主に、東電の原発の杜撰な管理体制、指揮系統、責任の所在、事故後の対応、などに非難が集中しているように思う。
 これは要するに「ちゃんと仕事しろ!」ということだ。あと原発擁護派に多い特徴的な声として、東電は国民に節電や電気料金の値上げを言う前に自らの「ボーナスを減らせ」とか「社員の給料をカットしろ」という声がある。日頃あんなに高い給料をもらっていながら、この仕事の杜撰さ、体たらくぶりは信じられない、というのだ。

 しかし、東電の社員の給料が高すぎるというところに非難の矛先が行くのはどうもおかしい。これは以前、「プロとは何か -反プロ論-」という記事の中でも書いたが、では、東電の役員社員の給料が安月給だったら、「まあ、そんなにきちんと仕事できてなくてもいいよ」となるのだろうか。ならないであろう。

 そして最近思うのは、反原発派の人たちの間にも少なからず「東電はちゃんと仕事しろ!」と思っている人がいるだろうということだ。


・東電“だけ”の問題なのか

 東電の社長は体調が悪くなったとか言って病院に「逃げた」。もし私が東電の社長だったら、と考えると、やはり病院に逃げるだろう。起こった事のあまりの重大さに、とても責任が取れるとは思えないからだ。責任ある立場の人間として最後まで精一杯の最善を尽くす努力はすべきだと思うが、東電の社長は今さらどこまで努力しても国民から「ちゃんと責任を果たした」とは思ってもらえないだろう。

 私が東電バッシングに違和感を感じるのは、今回の原発事故のような大問題を東電という一企業の問題にしてしまうことでさまざまな問題が逆に見えなくなってしまうのではないか、と思っているからだ。

 それは2005年の福知山線脱線事故の時も感じた。当時、JR西日本の企業体質が大きく問われた。しかしJR西日本と瓜二つの双子のような関係にあるJR東日本が、JR西日本と大きく異なる企業体質であるとはとても思えなかったし、JR東日本管轄内で似たような事故が起こっていてもおかしくなかったと思っていた。安全よりも過密なダイヤの運行を優先する状況は大都市圏を抱えている点で西も東も同じであり、たまたま西で事故が起きたけれども、東も同じ問題点を内包しているはずなのだ。

 東電に限らず原発を抱えているすべての電力会社は、安全管理体制やリスクマネジメント、事故対応の指針などはどこも似たり寄ったりなのではないか。むしろ東京電力は北海道電力から九州電力まで日本にある電力会社の中で最大手の会社であり最もきちんとした企業であったはずだ。その東電がこれだけズダボロだったのに、他の電力企業だったらもっときちんと対応できていた、とはとても思えない。


・原発事故は誰の責任か

 福島第一原発の管理者である東電が責任を取らなければいけないのは当然のことだが、東電がどこまですれば、バッシングをしている人たちは溜飲が下がるのであろうか。辞職?土下座?逮捕?
 今回の事故で、東電の安全管理体制が杜撰だったこと、ひどかったことは誰の目にも明らかだが、その杜撰さを事故の「後」にしか指摘できないのは情けない。「専門家は以前から津波による危険性を指摘していました。東電はその指摘を無視していたのです」と言う人がいる。では、あなたは3月11日の前にそれを指摘していたのか、あるいは少なくともその専門家の指摘を知っていたのか。
 「原発は安全」なんて「ずっと嘘だったんだぜ」と言ってる人たち、「東電が原発は安全だって言うから信じてたのに」と言ってる人たちもかっこ悪い。私はその嘘を見抜く目がありませんでした、東電の言うことを鵜呑みにしてました、と自らの不明を告白しているようなものだ。

 森達也は『僕のお父さんは東電の社員です』という本の中で、事故の「前」にそれを指摘できなかった自らの非を認めて謝っている。

 この本のアマゾンレビューで星一つ(最低評価)を付けていた人の、例えばこんな感想、

それからこのお父さんが世間的に割に合わない俸給で頑張っていたのだったらまだこの反論に威力はありますが常識からいって東電の年収はかなりの額ですね。世間には激務の割に全く報われない待遇のお仕事がいっぱいあります。


 これなどは、まさに東電社員の俸給の多寡を問題点にしている例だ。「では、月給が10万とかの安月給だったら、そんなにきちんと責任を取らなくてもいいのか」と聞きたくなる。なんか、自分はもっと安月給で激務の仕事で頑張ってるのに東電の社員ばかりずるい、と言ってるように聞こえる。激務なのに報われない給料しか貰えない仕事があるのはそれはそれで考えなければならない重要な社会問題だが、原発問題とは関係ない。
 
 また別の星一つのレビュー、

東電社員をお父さんにもつ子どもさんは,本人には責任がないだけにかわいそうですが,エリートサラリーマンの父親の自慢を友だちにして,ずっといい思いをしてきたのだから,ここらで,世間の風の冷たさを人並みに体験してもらうのが,その子の将来のためでもあると思います。


 これなんかは、勘違いも甚だしい。いつ誰が「自慢」したのか?勝手に「ずっといい思いをしてきた」と決めつけ、「ここらで,世間の風の冷たさを人並みに体験してもらう」などと小学生の子どもに向かって言っている。強大な偏見と先入観に支配されていると感じる。私も貧しいので金持ちを妬む気持ちは分からないではないが、やはり原発問題とは関係ない。

 こういう東電社員の「高給」を問題視してバッシングしている人は結構多い。こうした人たちは、東電社員が年収10分の1などになったら、本当に溜飲が下がるのかもしれない。

 私の溜飲は下がらない。


・どうしたら原発事故の責任が取れるのか

 起こってしまった事故に対しては、もうこれ以上被害が拡大しないようにと努めるよりほかない。そして事故の再発防止対策だ。

 詰まるところ、「東電はちゃんと責任を取れ!」ということだと思うが、東電はどうしたら「ちゃんと責任を取れ」るだろう。
 「ちゃんと」というのはどこまでのことか。私は「もう東電はじゅうぶんに頑張ったよ。立派に責任を果たしたよ」と国民から認めてもらえる日は何十年と来ないと思う。福島第一原発事故はそれほどの大事故だからだ。

 どうしたらちゃんと責任が取れるか、と問うときは、先ず「責任」とは何か、ということを考えなければならないが、長くなるのでそれはまた別稿に譲ろう。


・まとめ

 大震災の直後にタイムラインに流れてきた「東電頑張れ」に違和感を感じた。原発事故の報を聞いたあと、東電バッシング一色になるのは当然、と思っていただけに、「世間」のみんなが予想外に東電に好意的であったのがショックでもあった。

 しかし月日を重ねるごとに東電バッシングの声が日増しに強くなるにつれ、今度は東電バッシングに対して違和感を感じるようになった。世間の流れとは逆だったかもしれない。

 この記事は現時点(震災から約一年)での、東電バッシングについて私の考えを書いたものだ。原発問題についてはまた稿を改めたい。