暫定龍吟録

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戊辰戦争と原発事故と福島と東京と 〈東日本大震災から一年〉

 まもなく、東日本大震災から一年になるのを機に、あの3月11日の大震災の日から考えていたいくつかのことを記しておこうと思う。

 今日書こうと思うのは、福島第一原子力発電所事故のこと。そして福島県の人たちの思いと東京人である私の思い。

 福島県は東日本大震災で地震と津波により大きな被害を受けた。地震と津波という点では宮城県と岩手県も同様の大きな被害を受けた。しかし福島県はその後の原発事故によって、さらなる「余計な」苦しみを負っているかもしれない。
 福島県は面積が広大だから、中通り(福島市・郡山市)や会津地方は、福島第一原発からは随分と距離が離れているが、それでもやはり放射能という目に見えない恐怖は他県民よりは強く感じているだろうし、原発事故によるいわゆる「風評被害」によって農作物が売れなくなったり、他地域に転校すると、地元の人間からは「逃げた」と後ろ指をさされ、転校先の地域の人からは「福島人が来た」と言って差別される。浜通り(太平洋側)の地域の人たちは放射能の恐怖ももっと大きいだろうし、そもそも事故後立ち入り禁止になってそこに居住できない人もいる。


・「福島」という僭称が齎したマイナスイメージ

 「フクシマ」という名前は悪い意味で世界的に有名になった。
 熊本県の水俣は緑豊かで水のおいしい風光明媚な街だが、多くの日本人は小学校の時に習った「水俣病」のイメージが強く、「水俣に旅行に行く」という発想はあまりないだろう。
 ウクライナの一地方であるチェルノブイリもそうだ。「チェルノブイリに行く」と聞いたら「何の調査目的ですか?」と思うだろう。観光で行くとは誰も思わない。
 日本国内の他県民にも、ましてや海外の人たちには、浜通りと会津地方の違いなんてわからない。とにかく「フクシマ」と言えばあの原発事故の、というイメージなのだ。海外の人にとって「フクシマに行く」ということはもはや会津磐梯山や猪苗代湖に観光に行くことではなくて「何の調査に行くんですか?」ということになっているだろう。
 こうなってしまった原因の一つは、あの原発が「福島」という僭称を名乗っていたことだと思う。
 一つの小さな地域がより広大な地域の名称を名乗ることを僭称という。小倉が「北九州市」を名乗ったり、愛媛県の小さな街が「四国中央市」を名乗ったりするのも僭称である。
 福井県の高速増殖炉「もんじゅ」のように非実在の名前を付けていれば縦令大きな事故が起こったとしても「福井」の名前がそれほど傷つくことは避けられるだろう。
 日本の原発の中で県名のような大きな名前を僭称しているのは「島根」と「福島」だけだ。なぜ「福島」などという名前を付けていたのだろう。


・福島人の東京人に対する思いを忖度する

 福島第一原発の電力は主に東京などに供給する電力だ。私たち東京人が消費している。そのための原子力発電所を東京から遠く離れた福島県につくっていた。私は今回の事故があるまで恥ずかしながら福島県に原発があることを知らなかった。自分が毎日使っている電気がどこで作られ送られて来ているのか、ちゃんとわかっていなかった。

 地元は原発があることで経済的に潤ってきた側面もあると思うが、それは原発が絶対に事故を起こさないという前提での話であって、一度事故が起こってしまったら損失・損害の方が圧倒的に大きいだろう。
 一方で、その電気を最も大量に消費していた私たち東京人は、事故の損害を直接的にはそこまで大きく被っていない。

 今、福島の人たちは東京人に対してどのような思いを抱いているのだろう。
 私は福島県には知り合いも親戚もいないので直接話を聞いたことはない。
 「被害を全部押し付けて、自分たちだけは助かって」という思いだろうか。

 あの時もそうだった。
 幕末、戊辰戦争の時。会津(福島)は江戸(東京)の幕府を守るために命がけで最後まで戦ったのに、その江戸幕府のトップである将軍様はさっさと遁走。江戸の街は「無血開城」とやらで被害も少なかったが会津は大損害。なぜ白虎隊は死ななければならなかったのか。「あれは自分たちで勝手に勘違いして死んだんだから自業自得だろう」と言われれば確かにそうかもしれないが、江戸(東京)の将軍様がひたすら自己保身を第一に考え佐幕の人間を守ってくれなかったことに対しては、やりきれない気持ちも残っているだろう。
 その後も江戸は東京と名前を変え新たな繁栄を享受したが、会津(福島)は旧幕府側ということで冷遇を受け続けた。

 福島の人たちが東京を支えるために愚直に旧体制を維持していて、それが転覆したら全国民から指をさして非難される、という構図が、幕末の時と今回の原発事故の時と似ていると感じる。
 江戸(東京)は守られたが、福島は犠牲になった。今回の原発事故での直接の死者はいないが、「原発さえなければ」と書き残して自殺した相馬市の酪農家など、間接的に命を落とした人はいる。

 おそらく東京人はこれから「脱原発」を掲げ、原発に頼らない新しい電力エネルギーを模索していくだろう。東京には原発がないから次の新たなステージへ生まれ変わることが可能である。要は福島をちょん切って別のところから新たな電力を持ってくればいいだけのことである。そう、ちょうど徳川慶喜が会津を見捨てた時のように。
 そして福島には負の遺産だけが残る。

 福島の人たちは今、胸中に複雑な思いが去来していると思う。特に原発の電力の供給先であった私たち東京人に対する思いは複雑なのではないかと推測する。しかし原発を受け入れてしまったのは自分たちの判断であるという思いもあるから、白虎隊の時のように「自業自得だろう」と言われてしまったらなかなか反論できない。そこが福島の人たちが胸の内に抱えている難しさでもあるのだろう。




 最近、「シートン俗物記」というブログの中で、シートン先生が放射性物質(やおそらく震災瓦礫受け入れの問題)に関して、

科学的に見て健康に影響があるかどうか、を基準とするのは大元から間違っている。頼みもしないものをぶち播かれて、それを受け入れろ、と言い募る。そして、それを正当化する。
そうした事を批判し、拒否しているのだ。「放射能に対する怖れ」ではなく、「そのような事態を起こした者達やそのシステムに対する怒り」なのである。

「正しく怖れよ」な人には水を引っかけちゃいな - シートン俗物記

と書いているのを読んだ。
 たしかに福島第一原発は私が生まれる前に建った建物なので、私がそういうものを作って、と頼んだ覚えはない。
 しかし、「そのような事態を起こした者」は誰なのか。「そのシステム」を作った者は誰なのか。私はその「怒り」は良いとしても、その怒りの矛先をどこに向けるかは十分に吟味する必要があると思う。
 今は福島人への差別が社会問題になっている。「システムに対する怒り」が福島人への差別に繋がらないように気をつけることが大切だ。



(3/7追記)
 私の今回の記事と似たことが書かれているブログ記事を見つけた。

 福島 フクシマ FUKUSHIMA 原発収束作業の現場から     ある運動家の報告

 原発事故の収束作業の実態がかなり詳細に書かれている。原発労働者のほとんどが原発立地周辺市町村の出身であることなども指摘されている。原発問題に関心がある人は一読をお薦めします。


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