暫定龍吟録

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ノマドとモナド

 最近、ネット上で「ノマド」といふ言葉をよく聞くやうになった。
 
 ノマドワーカーがクールだなんて幻想だ! というお話 : ライフハッカー[日本版]
 ノマドという言霊ハイプを煽る - Tech Mom from Silicon Valley

 「ノマドワーカー」と呼ばれる新しい生き方・働き方が注目されてゐる。

 ところで、この「ノマド」によく似た響きの「モナド」といふ言葉がある。

「ノマド(nomad)」の語源は、nomas,nemein(割り当てられた所をさまよふ)で、「モナド(monad)」の語源は、mono(単一の)だから語源的にはこの二つの言葉は関係ないが、両者は音の響きだけではなくその世界観も何となく似てゐるので前から気になってゐた。アルファベットだとnomadとmonadはアナグラムでもある。

 そこで今日は、"nomad"と"monad"の差異や関係、また、そこから見えてくる問題について書かうと思ふ。


・従来の組織に属さないノマド

nomad.jpg
(近所のカフェ・ノマド)

 ノマドとは元は「遊牧民」といふ意味である。現代のノマドの世界観を一言で言へば、会社・企業のやうな従来の組織や団体に属さず、また場所を選ばずに自由に生き、働くことだ。毎日、会社に行ってデスクに座って仕事をするといふスタイルではなくて、ネットに繋がった端末一つを持って彼方此方に出かけ自由に仕事する。かういふライフスタイルは「フリーランス」など昔からあったが、昨今のネット端末の発達や無線インターネット環境の普及などに伴ひ、移動性(働き場所の自由)が加味されてあらためて注目されてくるやうになったと思はれる。


・どういふ人がノマドに向いてるか

 どんな人が“ノマドな”生き方が向いてゐるのだらう。
 先づは、一定の箇所にぢっとしてゐられない人。学校とか会社とか決まった箱の中に毎日通ふのが苦痛な人。
 それから最近はシェアハウスなどが人気があるが、おそらくノマドな人はシェアハウスも苦手だらう。自分と相性の合はない人と相部屋になったり同じグループになったりするのが耐へられない人は、ノマド型だらう。ユースホステルのやうに短い期間、相部屋になるはうが好きだらう。

 先日も、テレビでノマドな生き方をしてゐる女性が紹介されてゐたが、その人は大手出版社に勤めてゐたが鬱病になってしまひ、会社を辞めてノマドな生き方へと転身したといふことだった。鬱病になってしまふといふのはそれぐらゐ会社といふ組織に属して一箇所にぢっとしてゐるのが耐へ難い苦痛だったのだらう。その人にはノマドな生き方が合ってゐるやうに見えた。


・モナドは単一な「個」

 monad.jpg
(上掲カフェ・ノマドから歩いてすぐの所にあるジュエリーショップ・モナド)

 モナドとは、ライプニッツによれば、かう定義される。

これからお話しするモナドとは、複合体を作っている、単一な実体のことである。単一とは、部分がないという意味である。

(G.W.ライプニッツ『モナドロジー』より、以下の引用もすべて同じ)

 一般的には日本語では「単子」と訳される。

 もう20年くらゐ前から、教育の現場では「個を尊重する」とか「個性を伸ばす教育」といふことが言はれてきた。従来の型に嵌めた一斉教授といふ日本型の教育法からの脱却を目指したものだ。これは欧米の「個」を重視する教育を見習った動きでもあった。ライプニッツの「モナド」的なかうした人間観は、欧米の伝統的な人間観でもある。
 人間が一人ひとり独立的に単一に存在してゐて、それぞれの個性を放ってゐる。
 ライプニッツは言ふ。

じっさいどのモナドも、他のすべてのモナドと、たがいに必ず異なっている。


 これは教育の世界における「僕と君は違ふんだ」とか「みんな違ってみんないい」といふ考へ方の元になってゐる世界観であり人間観である。


・ノマドの窓

 ところで、ライプニッツは、モナドには窓がない、と言ふ。

モナドには、そこを通って何かが出はいりできるような窓はない。

外部の原因が、モナドの内部に作用をおよぼすことはできない。


 では、ノマドには窓はあるだらうか。
 ある。
 一番わかりやすいのはインターネットだらう。現代のノマドたちにとってインターネットは必須だ。ノマドは世界中を移動して働いてゐる。そのため空間的な制約をどうしても受ける。その隔たった距離を一瞬にして飛び越えてくれるインターネットが絶対に欠かせない。逆に言へば、このインターネットといふ「窓」があるおかげで、現代のノマドたちは生きていけてゐるとも言へる。

 そしてソーシャルメディアの興隆と流行も、ノマドたちを後押ししてゐる。ノマドの窓を通して彼らが一番駆使してゐるのはソーシャルネットワークだ。


・ノマドな生き方のハードルの高さ

 既存の組織や枠組み、常識がみるみる崩壊していってる時代にあって、たしかに「ノマド」は一つの新しいライフスタイルとして注目するに値する。しかし同時に、ノマドな働き方はまだまだハードルが高くもある。

 先づ第一に、輝いた個性がなければならない。そもそも売りにすべきパーソナリティが何もないといふ人が、ノマドな働き方をするのは難しい。

 第二に、もし輝いた個性を持ってゐたとしても、それを発揮するにはそれなりの規模の良質で強固なソーシャルネットワークを持ってゐなければならない。それがなければノマドな働き方で生きる(生計を立てる)のは現代ではまだ難しい。上述のテレビに出てゐた女性も、ネット上のある有名人に紹介されたのをきっかけにソーシャルネットワークが拡大し、それにより仕事が舞い込んで来るやうになった。


・孤立したモナドたち

 しかし、私が一番気にかゝってゐるのは、従来型の組織に属して働いてゐる人でも、ノマドでもない。
 会社に入って組織の一員として働くか、会社には入らないで自由な働き方をするか、それを選択できる人はいい。どちらにしろ自ら望んでそのやうな働き方をしてゐる人は別にいい。
 今の世の中には、会社にも雇ってもらへず、かと言ってノマドな生き方もできない、孤立したモナドたちがたくさんゐる。従来型の制度が崩壊してそちらにも入れてもらへず、新しくできたばかりのスタイルにも乗っかれない零れ落ちた人たちが、この端境期にいっぱいゐる。
 これは、ソーシャルな時代におけるもっとも憂慮すべき問題である。本来なら、かうした人たちを救ひ、あるいは掬ひ取ることはまさに轍鮒の急の問題であるはずなのに、社会の歩みは遅く、制度や体制もまだ全然整ってゐないし、人々の問題意識もまだそこまで至ってゐないやうに私には見える。

 1990年代の後半にインターネットが登場した時、「これでもう一人で生きていける」と思った人がたくさんゐた。しかしそれはやはり嘘だった。「ソーシャル」といふ言葉を頻繁に聞くやうになったこゝ数年でますます判ってきたのは、結局は“ソーシャルに”世界中のいろんな人の助けがなければ生きられないといふことだった。
 人間は一人では生きられない。

 ライプニッツもあれだけの天才の持ち主でありながら、生涯独身で友人もなく、まったくの孤独のうちに亡くなったといふ。ライプニッツ自身が孤独なモナドであった。彼の哲学的遺書とも言ふべき『モナドロジー』が書かれてもうすぐ300年が経たうとしてゐる。あらためて社会の在り方や働き方・生き方を問ひなほす時代に来てゐる。


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