暫定龍吟録

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リテラシーとは何か

 先日、「虚構新聞」といふ嘘ニュースを書いてゐるジョークサイトが、ツイッターを中心としたネットの世界で大きく問題になった。
 問題は、2012年5月14日の「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」といふ嘘記事がツイッターでたくさんリツイートされ、日頃から橋下市長の言動に関心を持ってゐた人たちがその記事を本当のことだと思ひ込んで、さらに情報を拡散、騙されてしまった人が続出した、といふ問題だ。

 虚構新聞自身が、この一連の騒ぎを纏めてゐる。(たゞし、虚実混ざった記事なので注意)。

 虚構新聞デジタル:ニュース特集:検証:橋下市長ツイッター義務化報道問題

 この一連の問題を多くの人が話題として取り上げた。虚構新聞を批判する人もゐれば、擁護する人もゐた。

 その中で、虚構新聞を擁護する人たちの中に、何度も「リテラシー」といふ言葉が出て来たのが気になった。要するに「騙されてゐる人は馬鹿。虚構を虚構と見抜けるぐらゐのリテラシーを身に付けろ」といふ意見だ。

 「情報リテラシー」、「ITリテラシー」、「ネットリテラシー」、「メディアリテラシー」などと呼ばれる、この「リテラシー」とは何なのか。
 現代日本社会には、まさにリテラシーが欠けてゐるのではないか。一連の騒動を見てゐて、その思ひを強くしたので、今日こゝに書き留めておきたい。


・「リテラシー」は「読み書き能力」

 リテラシーとは何か。先づは、辞書で確認しておかう。

[literacy]
1 [U]読み書きの能力, 識字能力;教養がある[教育を受けている]こと.
2 (特定分野の)知識, 能力;(コンピュータなどの)使用能力

(『プログレッシブ英和中辞典』)


・「コンピューターリテラシー」から「ネットリテラシー」へ

 「情報リテラシー」、「ITリテラシー」、「メディアリテラシー」といった言葉は、すべて「ネットリテラシー」といふ言葉と似たやうな意味である。しかし2000年代の前半ぐらゐまでは、リテラシーと言へば「コンピューターリテラシー」といふ意味合ひの方が強かった。

 まだ「ヤフー知恵袋」よりも「教えて!goo(OKWave)」がQ&Aサイトの代表であった頃、当時のPCが普及する過程とも相俟って、教えて!gooではパソコン関連のたくさんの質問が溢れてゐた。
 パソコンの初心者が質問し、回答者席に「常駐」してゐるパソコンに「詳しい」人たちが回答するやり取りを私もたくさん見てゐた。

 詳しい人たちは、いつも苛立ってゐた。「過去に同様の質問があります。過去に類似の質問がないかどうか調べてから質問してください」。「もう何度も言ってゐますが、PCについて質問するんだったら、最低限、お持ちのPCのCPUやメモリやOSなどの最低限のスペックを書いてから質問してください」等々。
 私は当時、「教へて!gooの教へ下手」と呼んでゐた。質問者がわざわざ「初心者です」と断ってゐても、「CPUは?」「OSは?」と聞く。初心者がCPUだのOSだのといふ言葉を分からうはずもない。

 「なんで未だにこんな基本的なルールを分かってない人がゐるの?」。「なんで未だに虚構に騙される人がゐるの?」。
 それは、新参者だからだ。時代が移り行き構成員が変はっていく限り、ツイッターにも2chにも毎年一定の新参者がゐる。

 あの頃から変はってないなあ、と思ふ。常連の「詳しい」人たちが、だ。
 パソコンの時代からネットの時代になったけれども、詳しい人たちの言ってることは、「トリセツを読め!」が「ソースを確認しろ!」に変はっただけで、本質的には何も変はってない。

 そもそもソースを“きちんと”確認するといふことがどれだけ大変なことか。
 ワールドワイドウェブがその初期に取り入れたハイパーテキストは元々は「ソースを確認する」といふことを重視した思想だったけれども、無限に続くハイパーリンクはむしろソースを確認するといふ作業をひどく面倒なものにした。
 リンク先の文章にまたリンク。その先にもまたリンク。どれだけリンクを辿って確認しなければいけないのだらう。
 英語圏のサービスで日本語対応してゐるものがあるが、サイトポリシーや利用規約など一部の文章は英語のまゝになってゐるサービスもある。「詳しい」人、「リテラシーが高い」人たちは、さうした英文までちゃんと読んでゐるのだらうか。


・「書く」側のリテラシー

 池上嘉彦が『日本語と日本語論』といふ本の中で、日本人の会話は話し手責任ではなく聞き手責任の文化である、といふ興味深い見方を紹介してゐる。
 欧米に比べて、話す側よりも話を聞く側、書き手よりも読み手、つまり受け取る側の責任が大きい、と。
 しかし本来、リテラシーは「読み書き能力」。「書く」のもリテラシーの内である。
 欧米のネットの世界はよく知らないが、日本ではあまりにも「読む」リテラシーばかりが問はれ、「書く」「記述する」リテラシーが問はれてゐないのではないか。


・「書く」リテラシーの具体例

 では、「書く」リテラシーとはどういふものだらうか。こゝで一つ具体例を紹介したい。

obento_20120520085049.jpg

 これは、先日、私のツイッターのタイムラインにリツイートで流れて来たツイートだ。人によって環境は異なるだらうが、私のTLでは最初は画像は表示されずに文字だけが流れて来てゐる。このツイートは50人以上の人にRTされふぁぼられてゐた。
 よくあるネタ画像といふやつで、この画像が本当にこの人が初出なのかどうか、といふことは今は追はない。

 しかし、私はこのツイートを見た時、嫌な感じがした。このツイートの文章が、だ。別に疑ふつもりはない。この人は「本当に友だちからメールで送られて来たからツイッターに書いたんです」と言ふかもしれない。本当にさうかもしれない。
 だが、特に「知り合いの会社の人」といふところが良くない。いかやうにも人をごまかす時に使はれる表現に見えるからだ。
 かういふネタ画像を投稿する場合はよくよく注意しなければいけない。自分が初出であるなら「知り合いの会社の人」などといふ如何にも曖昧な書き方ではなくて、もっと具体的に書かなくてはいけない。「友だちの◯◯ちゃん(実名でなくあだ名でよい)からメールで送られて来た」とか具体的に画像の由来も書いた方がいい。

 ネタ画像やおもしろ画像は忘れた頃に流れて来る。普段ツイッターをよく使ってゐる人は、「あゝ、この画像2年くらゐ前に見たわー」「この写真いろんなところで見たことあるわー」といふ経験にたびたび出遇ふ。初出ではないのにまるで自分が初出であるかのやうに装ひ、RTやふぁぼを稼ぐ人がゐる。上掲のやうなおもしろ画像なら騙されたとしても被害はないかもしれないが、それでも書く側にはもっと注意が必要である。

 ネタ画像は投稿しないと言ふ人でも、写真を撮ってツイートすることはあるだらう。その時に「ちょwこれワロタw」などといふ一言で紹介してはいけない。もう少しはっきり言ふと、リンクをクリックしなければどんな画像か分からないやうな書き方をしてはいけない。せめて「この猫の座り方面白いw」などのやうに、リンク先を開かなくてもだいたい何の画像であるかが分かるやうに書かなければいけない。(上掲のネタ画像はtwitter.com内なのでまだ良いが)。
 おもしろ画像のコメント欄に「ちょwこれパ◯ツ見えてるw」などといふ一文とともにリンクが張られてゐるのを見たことのある人も多いだらう。リテラシーが高い人は「だれがそんなのに引っかかるか」と思ふだらうが、10代の子なら引っかかってしまふかもしれない。


・ネット全体で書くリテラシー向上の気運を

 「詳しい」人、「リテラシーが高い」人たちは、「トリセツを読め!」を連呼してゐたあの頃から何も成長してゐない。「嘘を嘘と(略)」、「デマをデマと(略)」、「ガセをガセと(略)」、「ネタをネタと(略)」・・・。かうしたことをいつまで言ひ続けるつもりなのか。

 「リテラシーが高い」のだったら、もっとユーザーインターフェースを改良するなり、書くリテラシー向上の気運を盛り上げていくなり、いろいろと良くして行くことができるはずだ。未だに「ソースを確認しろ!」ばかり連呼してゐるのは、あまりに能がないと感じる。


・最後に
 
 この記事は虚構新聞批判ではない。虚構新聞は私も何年か前から偶に読んでゐる。
 虚構新聞そのものよりも、それを擁護する人たちの中にあまりに「リテラシー云々」と言ふ人が多かったので、その人たちに対する批判記事である。

 「リテラシー、リテラシー」と言ふのなら、先づ、「リテラシーが高い」人たちが先頭に立って書くリテラシー、記述するリテラシーの向上に、ネット全体の気運を盛り上げて行ってもらひたい。
 「リテラシーが高い」からこそできることがあるはずだ。



 似たやうなことを批判してゐる記事があったので紹介。

 情報リテラシーなるものの正体 - novtan別館