暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

方丈記800年、今こそ読みたい『方丈記』-大震災から500日-

 あの未曽有の大被害を齎した東日本大震災から今日で500日。
 復興が進んだ地域もあれば遅れている地域もある。大地震が齎した大きな爪痕に今なお苦しんでいる人々がたくさんいる。

 しかし一方で、東京などではすっかり日常生活を取り戻し、脱原発運動などを除いては地震そのものの記憶、特に津波被害のことなどは次第に話題にのぼることも少なくなって来ている。

 こうした、大災害に対する記憶の風化、特に人々の心持ちの変化を800年前に書いている本がある。歴史の教科書でも有名な鴨長明の『方丈記』である。

すなはちは、人みなあぢきなき事を述べて、いさゝか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。
(意訳:地震が起こった直後は、人々は皆「はかない」などと言って欲に塗れた汚い心も少しはきれいになっているように見えたけれども、年月を経るうちに、そういう言葉を口にする人もいなくなった。)

(鴨長明『方丈記』岩波文庫より)

 2011年3月11日金曜日にあの大地震が起こって、その翌土曜日と翌々日の日曜日に私が一心に読んでいたのは『方丈記』である。被害の全容が徐々に明らかになり、続々と凄まじい映像がテレビやネットで流れ、死者行方不明者の数がどんどん増えていく、そんな大きな不安と動揺の日々の中で読み続けたのは『方丈記』だった。


『方丈記』に書かれた元暦地震

 今からちょうど800年前に書かれた『方丈記』は日本三大随筆の一つとして名高いが、特に自然災害の被害の描写が詳細なことで知られる。
 東日本大震災が「千年に一度の大地震」と言われてから、それまで過去の大きな地震と言えば大正時代の「関東大震災」ぐらいまでの知識しかなかった人たちが、メディアに登場する学者たちが口にする江戸時代やそれ以前の中世、古代の地震にまで関心を持つようになった。

 西暦1185年、長かった平安時代が終わり新しい武士の時代が始まろうとしていた頃、京都の街を大地震が襲った。その時の元号をとって「元暦地震」と呼ばれるこの地震がどれほど大きな地震だったのか、今、鴨長明が『方丈記』に書き残しておいてくれていたからこそ判る。

 『方丈記』には、鴨長明自身が体験した安元三年の火災、治承四年の竜巻、養和の飢饉、元暦の地震という四つの大災害が書かれているが、その中から地震に関する記述をここに載せておこう。上が本文、下が現代語訳である。(以前書いた記事「余震はいつまで続くのか -『方丈記』に見る元暦地震-(2011/04/17)」にも載せてある。)

 又同じころかとよ、おびたゝしく大地震振ること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。土さけて水わきいで、巌われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船は波にたゞよひ、道ゆく馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、ひとつとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵灰立ち上りて、盛りなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず。家の内にをれば、忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地われさく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか。かくおびたゝしく振る事は、しばしにてやみにしかども、そのなごりしばしば絶えず。世の常驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四五度、二三度、若しは一日まぜ、二三日に一度など、おほかたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種のなかに水火風は常に害をなせど、大地にいたりてはことなる変をなさず。昔斉衡のころとか、大地震振りて、東大寺の仏の御頭落ちなど、いみじき事ども侍りけれど、なほこの度にはしかずとぞ。すなはちは、人みなあぢきなき事を述べて、いさゝか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。


(意訳)
元暦二年(1185年)ごろだったと思うが、大地震があった。その様子は尋常じゃなかった。山は崩れて川を埋め、海は傾いて陸地に浸水した。地面は裂けて水が湧き出し、岩は谷に転げ落ちた。船は波間に漂流し、馬は足場を失った。都のあちこちで、仏塔など一つとして無事ではなかった。あるものは崩れ、あるものは倒れていた。塵が立ち上って煙のようだった。震動、家の壊れる音は、雷のようだった。家の中にいれば、たちまち下敷きになってしまう。かと言って外に走りだせば、地面が割れている。羽がないので空を飛ぶこともできない。竜だったら雲にも乗って逃げるだろうが。恐ろしいものの中でとりわけ恐ろしいのは、地震なのだと思った。こんなに大きな揺れはしばらくしてやんだけれども、余震が絶えなかった。普通にびっくりするくらいの地震が1日に2、30回くらいあった。10日、20日ほど過ぎてようやく間隔があいてきて、1日に4、5回、2、3回、もしくは1日おき、2、3日に1回などとなって、結局、余震は3カ月ぐらい続いた。この世のものの中で、水害と火事と台風はいつも被害があるけれども、大地が揺れるなんてことはなかった。昔、斉衡時代(854-857)に大地震があって、東大寺の大仏の頭が落ちたとか聞いたことあるけれど、今回ほどの地震ではなかっただろう。その当時は、人々は皆「情けない」とか「はかない」とか言って、心の中の濁りや欲望も薄らぐように見えたけれども、年月が経って、そんなことを言う人もいなくなった。


 鴨長明は、地震のことをなぜこんなに詳しく書いているのだろう。
 京都人の鴨長明が元暦の大地震に大きなショックを受けたことは間違いないが、『方丈記』が書かれたのは長明57歳の頃、そして元暦地震は長明30歳の時に被災した地震である。つまりだいぶ前の若い頃に被災した地震のことを思い出して書いているのである。上記引用の中で「すなはちは(当時は)」と言っているのは、斉衡時代の地震のことを振り返っているのではなくて、元暦地震のことを指している。

 鴨長明は30歳の頃は、自分の人生でも辛いことが重なっていた時期でもあり、とても筆を執れるような心境ではなかったかもしれない。しかし、人生の最終盤に差し掛かり、閑居していた方丈の庵の中で自らの人生を振り返り、世の無常を思った。
 『方丈記』は随筆でありながら、プライベートなことよりも自然現象や抽象的な思想などを語っている点が特徴的である。そしてこの点が『方丈記』を価値あるものにしている。


『方丈記』の歴史的な眼

 最近読んだ中で興味深かったのは、『日本人なら知っておきたい日本文学』の中で著者の海野凪子氏が、『方丈記』の中には「いくさ」という言葉が出て来ない、と指摘していたことである。

 鴨長明が生きた時代は源平の争乱が最も激しかった頃に重なる。そうした戦の数々について記していてもおかしくはない。

 しかし長明は、政治や自分のプライベートなことなど、流動的な現在進行形のことについては敢えて書かなかったのだろう。私には『方丈記』は、遠い過去から遠い未来へと亘って貫徹する歴史の哲理のようなものを追究した本に見える。それは300年も前の斉衡時代の地震に言及しているところなどからも窺える。長明はあきらかにこの本を後世の人たちが読んだ時に歴史的な史料として参考になることを意識して書いている。自然災害の描写が詳しかったり、本の最後に「于時建暦の二年、弥生の晦日ごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にして、これをしるす」と年月日をしっかり記しているのも、そうした歴史を意識している表れである。当時はこうした随筆文にそれを書いた年月日を記すことは珍しかった。


『方丈記』が肯定する“人間らしさ”

 岩波文庫版(が底本としている大福光寺所蔵本)の本文には載っていないが、別の伝本にはこんな話も載っている。

 6歳か7歳ぐらいの子どもが遊んでいたが、大地震(元暦地震)が来て塀の下敷きになって死んでしまった。その子を抱きかかえて、父親と母親が声を惜しまずに泣いていた。その子の父親は武者だったが、そんな勇敢な者でも我が子を失った悲しみには恥を忘れて泣くのだ、と。

 ここにほんの少しだけ、当時擡頭して来ていた武士に対する長明の思いと、やはりどんなに時代や人が変わっても我が子を失った悲しみは変わらない、という長明の確信を看て取れる。長明はそれを「いとをしくことわりかな」と言っている。

 『方丈記』が強烈に肯定しているのは、こうした「人間らしさ」。政治的な、誰が天下を取ったとか誰が偉くて誰が上で下だとかいう話ではなく、もっと根源的な人間らしさを語っている。


東日本大震災と『方丈記』800年

 今年2012年は『方丈記』が書かれてから、ちょうど800年の年になる。

 東日本大震災の直後、多くの日本人が味わったあの危機感。電車が止まり、コンビニやスーパーから食料品が消え、テレビでは津波の衝撃的な映像が流れ、ネットでは猛烈な情報が流れ、原発事故の見えない恐怖に脅えていたあの頃、見知らぬ人とも「こんな時ですからお互いに助け合いましょう」という空気が、少なくとも私の住んでる東京にはあった。
 多くの人が東北の被災地にボランティアに行き、あるいは募金に応じ、無償の行動をしていた。こうした心を私たちはいつまで持ち続けていられるのだろうか。長明は大地震から二十数年後には「そんなことを言う人すらいなくなった」と言っている。
 東日本大震災はいろいろな形で記録され、その記録自体は風化しないだろうが、長明が言っているのは心持ちの風化である。
 西日本や海外に住んでいた人はもしかしたら少し感じ方が違うかもしれないが、私は東日本に住んでいた人間として、あの時感じた必死の思いやその時に人々の間にあらわれた人間らしさの感覚を忘れたくない。

 『方丈記』には地震に関する記述の他にも、弱者に対する眼差し、命に対する眼差し、など興味深い点がたくさんある。もちろん、文学的価値の高い名文でもある。
 『方丈記』は非常に薄い本なのですぐに読めるし、今は読みやすい現代語訳がいくつかある。まだ読んだことのない人、中学高校時代の古文の時間に習った冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」しか覚えていないという人は、800年記念の今年に、ぜひ読んでみてはいかがだろうか。


方丈記 (講談社学術文庫 459)方丈記 (講談社学術文庫 459)
(1980/02/07)
安良岡 康作

商品詳細を見る


すらすら読める方丈記すらすら読める方丈記
(2003/02/20)
中野 孝次

商品詳細を見る



【『方丈記』関連の記事】