暫定龍吟録

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“反利”の先駆者、大橋訥庵


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 今年2012年は、幕末の思想家、大橋訥庵の歿後150年。

 たぶん現行の暦だと今日8月7日がその歿後150年目の日になる。

 大橋訥庵はマイナーな人物である。高校で日本史をとった人でも名前を聞いたことがないという人が多いはずである。同じ幕末の思想家でも吉田松陰などはずいぶんとメジャーであるのに対し、大橋訥庵はそこまでメジャーにはなれなかった。

 訥庵はなぜメジャーになれなかったのか。
 一言で言うと、「早すぎた」からだろう。時代に対して早すぎる人は、自分が誰かの後につくのではなくて、自分の後に若い人たちがついてくる。だから時代にマッチして活躍するのは若い弟子たちである。吉田松陰にしても、自身は獄死し、活躍したのは木戸孝允、伊藤博文、山県有朋などの弟子たちであった。
 訥庵の塾(思誠塾)からはそこまで有名な弟子は出なかった。

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(緑に囲まれている。特に花などは活けられていなかった)

 1816年に生まれた訥庵は47歳で亡くなっているが、生きていても明治維新の時には52歳、明治時代には活躍できなかっただろう。長生きできるタイプの人でもなかった。

 尊王攘夷論者の中でもかなり早いほうだった。もっと長生きしていれば、その後の時代の移り変わりを見て意見が変わったかもしれないがそれは分からない。

 そしてもう一つメジャーになりがたい要素としては、やはり坂下門外の変の首謀者、というマイナスイメージがあるだろう。

 訥庵は、その主著『闢邪小言』こそよく読まれたものの、あとは老中暗殺計画も失敗に終わり(因みに訥庵は計画しただけで実行前に捕まってしまい、自身は実行グループに加わってすらいない)、攘夷作戦も結局決行できず、逮捕されて死んだだけである。何か世の中を変革するような大きな事を成し遂げたわけではなかった。

 訥庵は実際にそうして行動を起こそうとしていたので行動派の人物ではあったが、やはり尊王攘夷の志士たちの理論的支柱でもあった。

 『闢邪小言』に現れるような訥庵の思想は、その後の明治時代、あるいは昭和時代において、思想・精神的柱としてもっと日の目を見てもいいはずだった。
 それなのに、訥庵ブームはなぜ幕末の一時代的なもので終わってしまったのか。

 深く考えればいろいろな理由があるかもしれないが、簡単に考えれば、その理由は分からないでもない。
 それは、『闢邪小言』の中には「反“利”」の思想が語られているからである。

道理に於て為すべき事は、利ありとも害ありとも、生るも死するとも、絶てそれらに目を属せず、真一文字に為すを義と云ひ、かくせばかかる益あらん、かくせばかかる損あらんと、一己の私情に徇て、為し行く事をば総て利と曰ふ


便利の説を張る者多きは、華夷の藩籬を壊裂して、人を禽獣に駆んとするなり、懼るべく又悪むべし


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 明治時代は富国強兵、文明開化の時代。そうした時代の潮流に訥庵の反利の思想が受け容れられなかったであろうことは容易に推測できる。昭和の時代も戦後は「アメリカに追いつけ追い越せ」の時代だった。何よりも経済成長を優先させ、便利なアメリカンライフスタイルに憧れていた人たちに、やはり訥庵の反利の思想が顧みられるわけがない。

 訥庵が計画した坂下門外の変や、あるいは攘夷思想そのものについては肯定しがたい面もある。
 しかし訥庵の“反利”の思想には私は刮目すべきものがあると思っている。
 その点において大橋訥庵は先駆者だった。

 今、利潤ばかりを追求してきた世界のシステムが破綻しようとしている。大きなクライシスに向かっている。小さな綻びはもうすでにあちこちで出ている。
 訥庵の批判を、尊王攘夷思想に染まった昔の人の「小言」だと切り捨てるのはまだ早い。訥庵が鮮やかに説いた「利」批判は、現代においてますます重要な意義を持って来ている。