暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

クラウド時代のバックアップとは何か


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 先日、突然、パソコンがインターネットに繫がらなくなった。幸ひ、インターネットには翌日繫がるやうになったが、その日は一日、仕事にならなかった。

 私はこの痛い経験を機に、バックアップについてあらためて考へた。そこで思ひ知ったのは、自分のバックアップに関する認識の甘さ、考への古さだった。

 私はずっとバックアップの重要性については認識してゐるつもりだったが、バックアップするものはデータだと思ってゐた。データさへバックアップしてゐれば問題ないと思ってゐた。
 だが、さうではなかった。クラウド時代になり、「バックアップ」といふ言葉・行為はもっと多義的に理解されなければならないと痛感した。

 今回、自分が痛い目に遭った経験を教訓として、私と似たやうなライフスタイルを送ってゐる現代人の皆さんが同じ轍を踏まないやうに、考へを書き留めておきたい。


従来のバックアップ

 「バックアップ」といふ語を調べると、IT用語辞典でもウィキペディアでも「データの写しをとって別の場所に保存すること」と書いてある。なにかトラブルがあったときのための予備を用意しておくことである。

データの写しを取って保存すること。コンピュータに保存されたデータやプログラムを、破損やコンピュータウイルス感染などの事態に備え、別の記憶媒体に保存すること。(IT用語辞典)


失われては困るデータを失う前に通常とは別の場所にコピーしておくこと(Wikipedia)


 しかし、バックアップすべき対象については「データ」と書いてある。他のどのサイトを見ても、バックアップといふのは、データのバックアップをとることだと書いてある。

 たしかにこれが今までの多くの人の「バックアップ」の認識である。そして人々が「バックアップは重要ですよ」と言ふとき、それは「データのバックアップを取っておけ」といふことを意味してゐた。


クラウドコンピューティングの時代へ

 私もデータのバックアップが重要だと思ひ、パソコンの中のデータは外部の記録媒体に写しをとるなどしてゐた。
 しかし、かうした記録媒体には欠点があった。一つは壊れやすいといふこと。もう一つは規格などが次々に新しくなり古いタイプのものは使へなくなるといふ点だ。今、相手からフロッピーディスクでデータを渡されても困る人が多いだらう。フロッピーにしろMOにしろCDもDVDも次々と新しい規格が出て、2012年の時点では、フロッピーやMOの中のデータはかなり読み取りづらい環境になってゐる。

 CDや外付けHDDなどのかうした欠点を嫌ってゐたところ、数年前からクラウドコンピューティングの環境が整ってきた。脆弱なローカルな機械に依存しないクラウドサービスは私には魅力的に見えた。もちろん、クラウドと言っても実際にはサーバーコンピューターなどの機械であるわけだが、それでも従来の環境よりは頑強であるやうに思へた。それで、私はデータの保存に限らず、他の多くの作業をクラウドで行ふやうになっていった。

 例へば、以下の九つのクラウドストレージサービスなどは広く知られてゐるサービスである。

A
 Amazon Cloud Drive
B
 Box
C
 CX.com
D
 Dropbox
E
 Evernote
F
 firestorage
G
 Google Drive
H
 HiDrive
I
 iCloud


 これらのクラウドサービスの複数のサービスを使ひ、データをバックアップしてゐた。例へば、Evernoteのデータの写しをDropboxにも保存しておく、といふやうに。
 定期的にデータのバックアップを取るやうにしてゐたし、自分のバックアップのとり方は完璧だと思ってゐた。

 が、そこで先日の事件(といふほどの大袈裟なことではなかったが)が起こった。


クラウドに依存した生活

 朝起きて、いつものやうにパソコンの電源を入れてブラウザを開いたら、ネットに繫がってゐなかった。原因は分からなかった。「分からないことがあったらググれ」と言ふかもしれないが、ネットに繫がってゐないのでググることもできなかった。

 その日に資料を渡す予定だった相手から「資料をくれ」と言はれた。
 「資料は出来上がってゐるのだが、今日はパソコンがネットに繫がってゐないのでデータを取り出すことができない」と答へた。
 データのバックアップをとってゐなかったわけぢゃない。EvernoteにもDropboxにもGoogleDriveにもまったく同じデータを保存してあるし、ネット上のあちこちに保存してある。でもすべてネット上である。ネットに繫がってゐなかったらどれだけたくさんのクラウドサービスに保存してゐようともデータを取り出せない。

 相手から「では、パソコンは壊れてないんだらうから、一から資料を作って。それをメールで、いやネットに繫がらないんだったらメールも無理だらうから、印刷して持って来てくれ」と言はれた。

 しかし「それも無理だ」と答へた。資料を一から作れたとしても、印刷はできない。私の家にはプリンターさへ無かった。印刷さへネットに頼ってゐたのだ。

 相手「では、パソコンで作ったデータをUSBメモリにうつして、それをキンコーズかどこかで印刷して」
 私「USBメモリも持ってない」

 私のライフスタイルはもう全面的にインターネットに頼ったものになってゐた。資料を作らうにもWordやExcelなどのローカルなアプリケーション・ソフトウェアは持ってゐなかった。文書作成や表計算もすべてクラウドに頼ってゐた。プリンターもUSBメモリもCDもDVDも何も持ってゐなかった。さうした機械に頼らない生活を目指してゐたのだから、当然の帰結と言へば当然の帰結だった。

 結局、相手にはネットに繫がるやうになるまで待ってもらって、翌日にはネットに繫がるやうになったのだが、この一件から多くのことを考へさせられた。


一本しかなかった経路

 問題は、私がそれだけネットに頼った生活を送っておきながら、インターネットに繫がる経路を一本しか持ってゐなかったといふことである。
 無線インターネットの環境さへ整へてゐなかった。仕事場にもパソコンはなく、ネットカフェがどこにあるかも知らず、タブレット型PCやゲーム機はおろか、携帯電話さへ持ってをらず、家のたった一台のパソコンでたった一本の有線インターネットで繫がってゐた。


アクセスできないデータに意味は無い

 こゝまでくれば私の言ひたいこともお分かりだと思ふが、バックアップとは単にデータのバックアップをとっておけばいいのではない。クラウド時代のバックアップとは、インターネットに繫がる複数の経路を確保しておくことである。しかも“すぐに”利用できるといふことが大事である。ネットカフェがあるぢゃないか、と思ってゐても、いざ利用しようとしたときに場所が分からなかったり近くに無かったり、あるいは利用方法が分からなかったりしたのでは駄目である。

 例へば、すごく好きで今すぐにでも会ひたい人がゐるとしよう。「その人が生きてゐることは確かだが、所在地は分からない。この地球上のどこにゐるかは分からない。聯絡の取りやうもない」と言はれたら、どうだらうか。
 「この地球上のどこにゐるか分からない」などといふ人を探し出すことはできない。将来的にはfoursquareのやうな位置情報系サービスの普及により人を探し出すのが容易になるだらうが、それはもうちょっと先の話で、現状では難しい。そんな人が生きてゐることを教へられたところでどうしよう。おそらくその人にはもう二度と会へない。永遠に会へない人など死んだも同然である。

 クラウドに保存されてゐるデータは消えてしまったわけではない。ちゃんと生きて残ってゐる。しかしアクセスできないデータに何の価値があるだらう。


クラウドコンピューティング時代のバックアップとは

 思ひ返せば、そもそもインターネットはそのやうな複数の経路を確保するやうに設計されて出来上がって来たものだ。インターネットの前身はアメリカの軍事ネットワーク<ARPANET>で、一箇所を攻撃されても、別の迂回ルートで情報を届けられるやうに構築されてゐた。現在のインターネットもその流れを引き継いでゐる。

 インターネットはさうした冗長性を持った構造で世界に普及したが、インターネットと人間を繫ぐ部分、すなはち端末、インターフェイスには課題がある。その課題についてはまた別稿で論ずることにしよう。

 繰り返しになるが、バックアップとは単にデータの写しをとっておくことを意味せず、クラウドコンピューティングの時代にあっては、インターネットに繫がる複数の予備の経路を確保しておくこともまたバックアップである。
 お父さんのスマートフォン、お母さんの携帯電話、お兄ちゃんのパソコン、あるいは学校の、サークルの部室のパソコン、なんでもいい。いざといふ時に自分がすぐに使へるネット環境を複数用意しておくことだ。

 バックアップについての考へを改めなければいけない時期に来てゐる。