暫定龍吟録

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福田恆存と朴正熙

 今日2012年8月25日は福田恆存生誕100年の日。

 福田恆存は地元の人なので学生時代に読んでみたが、よく分からなかった。分からなかったというより共感するところが少なかった。

 今あらためて思うと、それは時代の違いのせいかもしれないと思った。
 福田恆存が左翼思想に対して抱いていた反感も、福田が言論活動をしていた当時の感覚だったら妥当な感覚だったのかもしれない。

 福田恆存は、何代か前の韓国大統領朴正熙と親交があった。朴正熙のことを「周圍の人間を獻身的にさせる魅力があつた」、「男が惚れる男」と評価し、「朴正熙氏の人柄を心から敬愛してゐた」と言っている。

 ところで最近日韓関係が拗れている。いや拗れているのは昔からだが、李明博大統領の竹島訪問などを機に悪化が表面化している。日本では、大統領のこうした暴走は政権末期の国内からの突き上げに対する不安の表れと見る人も多い。

朴大統領が「私は人にどう言はれても、あらゆる努力をして、(あの金大中のやうな人達には)大統領の席を譲りたくありません」と言つた時、握り締めた兩の拳を机の上に置き、その間に稍前のめりに顔を伏せ気味にして、半ば自分に言ひ聽かせるやうに力強く言ひ放つた真率、鎮痛な表情、その部厚い兩肩が、未だに私の眼底に残つてゐる。 それは私の生きてゐる限り一生消えないであらう。(中略)大統領は續けてかう言つた、「私が死んだ方が、國民の戦意はかへつて強固なものになるかも知れませんよ。」私はその微笑のうちにこの人の孤獨を看て取つた。(『孤獨の人、朴正熙』)


 こうした文章を読むと、韓国大統領という「職業」の特殊性について考えさせられる。

 福田は初めて朴正熙に会ったとき、約束の一時間が過ぎたので辞し去ろうとすると大統領が「どうせ私も昼食の時間です。私と同じ物でよかったら食べて行きませんか」と福田を引き止めた。
 そこで出されたオムレツは中まで硬く表面がまだらに焦げていて、とても満足のいく食べ物ではなかったが、福田はそこに朴正熙の「清貧濯ふが如」き性格をみた。
 そして食事が済んで三十分くらいして約束の時間をあまりに超過してしまったので再び失礼しようとすると「今日の午後は何も予定がないから」と言って再び押し留められた。
 そこからまた長々としゃべり合い、二人はまるで古くからの友達のようだった。「大韓民国大統領の姿は消え去り、知己、朴正熙しか存在せず」と語っている。

 1979年10月26日、福田は日韓演劇交流のためにソウルを訪れていた。その夜7時55分、朴正熙は兇弾に斃れる。翌朝叩き起こされて事件を知った福田は戒厳令の布かれる中で芝居の公演を行ったのだった。朴正熙がどうしても見に行きたいと言っていた芝居だった。