暫定龍吟録

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よみがえる本因坊秀策 -没後150年・本因坊400年-

 江戸時代の碁打ち、本因坊秀策が亡くなって今年で150年。

 碁(Go)は今や国際的なゲームになり、日本、中国、朝鮮だけでなく、アメリカ、ヨーロッパでも人気があり、世界80カ国以上、数百万人の愛好者がいるとも言われる。

 もし秀策が現代の碁界を見たならば、本因坊の名を継ぐ日本の棋士たちが世界で勝てなくなっているのを嘆くだろうか。それとも碁の隆盛をうれしく思うだろうか。

 秀策は日本の歴史上の碁打ちの中でも格別に強かった。御城碁では19戦無敗という空前絶後の大記録を達成した。今では「碁聖」と言えば、四世道策か、この秀策を指す。
 現代の韓国で「最強棋士」の呼び声もある李昌鎬は、秀策の棋譜を並べて勉強したと言われる。

 秀策の碁が具体的にどう強くてどう素晴らしいのかを説明するには残念ながら私の棋力では足りないので、その説明は省く。
 ただ私は秀策の碁の強さもさることながら、その人柄を気に入っているのだ。
 その圧倒的な碁の強さとは裏腹にたいへん謙虚な性格であったと言われている。

 1862年(文久2年)にコレラの大流行が日本を襲った。本因坊家でもたくさんの人が感染し、看護活動が必要だったが、秀策は率先して弟弟子たちの看病を行なった。秀策は本因坊家の大事な跡目であり師匠に次いで「偉い人」だったから、当然周囲の人は「あなたは看病しなくていい」と言って止めたはずだが、秀策は構わずに必死の看病に当たった。
 秀策のその懸命の看病のおかげで結果的に本因坊家からは一人の死者も出なかった。ただ一人、秀策を除いては。
 秀策は最前線で看病に当たったおかげで自らが感染し命を落とした。33歳の若さだった。自らの命を賭して人々の命を救った。

 現代の囲碁棋士を見るとわかるように、将棋棋士に比べて年配で活躍している人が多い。碁は歳をとってからもますます強さを増し楽しめる競技なのだ。
 秀策は長生きしていたら、もっともっと強くなって活躍できただろう。後世の誰もが及ばない不滅の大記録を作ったかもしれない。しかし己の名誉よりも大事にしたものがあった。それは目の前で病に苦しんでいる人たちを助けることだった。

 私は33歳の若さで亡くなった秀策の無念の思いを感じ取るのと、この稀代の碁聖に敬意を表すために墓参りに行ってきた。

honinboshusaku01.jpg
(文久二年八月十日が秀策が亡くなった日)

 同じく若くして亡くなった道的(四世跡目)、道知(五世)と一緒の墓に眠っている。

 ふと下の方を見ると、墓石の上に碁石が散らばっていた。囲碁ファンが置いて行くのだろう。

墓石(はかいし)の上に碁石(ごいし)である。

 漢字が似ているので紛らわしいが、

碁石の上に墓石、ではない。

honinboshusaku49.jpg
(墓石の上の碁石)


 碁(Go)は将棋にくらべて欧米など世界への普及度が高い。これは、将棋の駒にある漢字などの取っ付きにくい要素が少ないことと基本的なルールが簡単であることなどが要因として挙げられるだろう。

 将棋の世界では、江戸時代の名人よりも現代の名人の方が強い、というのが一般的な見方だが、碁の世界は違う。碁の世界では江戸時代から現代にかけて単純に進化してきたという見方ではなく、現代のプロ棋士たちが江戸時代の棋士の棋譜を並べて感心したりしている。

 なので、こうして碁が世界にますます普及して行けば行くほど、秀策の凄さがあらためてクローズアップされてくるだろう。世界中の碁のプレイヤーたちが碁を勉強していく過程で「Shusaku-ryu(秀策流)」という布石(戦法)の名前を聞くだろう。そしてその名前の由来がどこから来ているのか、Shusakuとは何者なのかをいつか知ることになるだろう。

 それは、19世紀の“the greatest professional Go player”(英語版ウィキペディア)である。

 歿後150年の時を超えて本因坊秀策がよみがえる。


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