暫定龍吟録

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警察はなぜ「真犯人」を逮捕できないのか -ひとつの「日本病」を考える-

(2013年2月10日追記:以下の記事は2013年1月3日、真犯人が逮捕される前に書いたものです。)




 昨年2012年の日本を騒がせたものに、PC遠隔操作ウイルス事件があった。4人の人が無実の罪で誤認逮捕されるという事態が起こり、社会的にも大きな注目を集めた。
 そして2013年1月現在、まだ警察は「真犯人」を逮捕するに至っていない。

 警察は、なぜ真犯人を逮捕できないのか?なぜ、無実の人を誤って逮捕してしまったのか?「日本の警察は世界一優秀」なのではなかったのか?

 「世界一優秀」と言われる日本の警察がなぜ真犯人を逮捕できないのか。そこには、私は一つの「日本病」が関わっているのではないかと考える。そのことについて今日は書こうと思う。


「世界一優秀」な日本の警察はなぜ真犯人を逮捕できないか

 「日本病」という言葉はすでにいろいろな意味で使われている。あるサイトの定義によれば、日本病(にほんびょう)とは、日本における政治・文化・社会を取り巻くさまざまな病理現象を表す言葉。とあるから、日本において特徴的な事象であるなら、「日本病」と呼んでもいいのだろう。

 日本の警察は、その検挙率の高さなどから「世界一優秀」だと言われることがある。その優秀なはずの日本の警察がPC遠隔操作ウイルス事件の真犯人を逮捕できない。

 これは、日本の企業や組織が、どういう点が優秀なのか、という問題と関わってくるのだと思う。

 日本の企業・組織では、徹底した効率化が求められる。作業の流れは究極的に効率が良くなり、そしてその流れはどんどん洗練されていく。
 すべての社員・職員が徹底的に無駄を省いて効率化を追求し、出来上がった流れ(フロー)をマニュアルに纒めて後輩へ伝えていく。

 日本の社会では「無駄」がとことん嫌われる。

 「どうして、そんな無駄なことやってるの!?」

 「なんで、そんな効率の悪いやり方でやってるの!?」

 「効率化」は日本の企業・組織における至上命題(至上課題)である。

 指紋を採って犯人を捜すというのは、昔からの基本的な犯人捜査方法だった。警察では代々、指紋採取方法が先輩から後輩へと受け継がれ、その過程において一人ひとりがより良い技術や効率化を追求し、指紋採取技術はどんどん洗練されていったのだろう。指紋採取の技術に関しては、日本の警察は世界一なのかもしれない。

 そうした古くからの技術がますます洗練されていく一方で、PC遠隔操作ウイルスなどの新しい技術については対応できる者が組織内にいなかった。

 誤認逮捕の時、警察は「IPアドレスが指紋みたいなもの」とまで言った。

 2chにしてもそうで、警察は今まで何回か2chを「捜索」しているが、結局ひろゆきの逮捕には至っていない。それはひろゆき自身が指摘している「法の未整備」の問題が解決されていないからだ。ネットに関する法の整備は後手後手にまわっており、「今までの」法律では取り締まれないのだ。

 私はこのように、古くからの技術や方法を洗練させて磨き上げることばかりに専念し、新しいものにはまったく対応できない傾向のことを、一つの「日本病」と呼ぼう。


FAXの例

 以前、大きな企業に勤めた時に驚いたことが一つあった。

 最初の日、「これは何をしているのですか?」と聞いたら、「これは取引先からFAXで送られてきた厖大なデータをデジタルデータに変換してコンピュータに取り込んでいるのです」という返事が返ってきた。

 私はプライベートではFAXというものは使ったことがない。生まれてから今までずっと家にないから、一度も使ったことがない。最初に働いたところで「FAXってどうやって使うんですか?」と言ってしまって周囲を唖然とさせたこともあった。

 今は、すべてのデータをデジタルで管理している。しかし古くからの取引先はFAX時代の名残で今でもFAXでデータを送って来るし、オンラインシステムでも古いバージョンのやつで送って来るところもあるので、最新のシステムに適合するように変換作業が必要なのだ、と。
 取引先にも最新のシステムを導入してほしいのだが、経済的な問題もあり、なかなか切り替えてくれないのだ、と。

 なんと滑稽なことではないか。
 FAXという機械がこの世に登場した時、今まで郵送で送っていた書類がこの機械を使えば一瞬で届く!時間短縮に繫がる!と手を叩いて喜び、仕事の効率化を求めていち早くFAXを導入した企業が、今はFAXが送ってくる紙データの取り扱いに苦しんでいるのだ。

 一見、矛盾したことを言ってるように思われるかもしれない。新しもの好きの人を批判しているのか、それとも新しいものに鈍感で対応できない人を批判しているのか。

 私は、新しいものに敏感である必要はあると思う。だが、それを「効率化」のためだけに使い始めるならば、結局は「日本病」に陥るだろうと思うのだ。


原発の例

 原発事故にしても、そうだ。

 私は以前、原発の安全に関わる仕事をしていた人たちと仕事上の付き合いがあって、彼らの働きぶりを見ていたが、彼らは非常に真面目に働いていた。決して怠けたりせず、日々の安全確認の作業を厳しく行なっていた。

 しかし、すべての社員・職員が、究極的なまでに洗練され効率化された流れ(フロー)の中で“きちきちで”業務を行なっていた。

 そこに欠如しているものは、「余剰」や「無駄」である。

 「そう言えば、もしとてつもなく大きな津波が来たら原発は大丈夫なんだろうか?」

 そんなことを、ふとぼんやり考える余裕のある社員は誰もいなかった。

 誰もなまけたり怠ったりしていなかった。何重にもわたる日々の厳しい安全確認フローを真面目に行なっていた。

 「想定内」の日々が続くかぎり「原発は100%安全」だったのだ。


「今まで通り」ではないかもしれない世界を考える

 警察にしても、ネット関聯の事件では、「まずIPアドレスを突き止めること」というマニュアルがあり、今回もそのマニュアル通りにやったのだろう。そして「IPアドレスを突き止めたら、もう犯人を押さえたも同然」であり、あとは指紋採取のやり方と同じように今まで通り、粛々と作業を進めていくだけである。

 しかし、それでは犯人は捕まえられず別の人を間違えて逮捕してしまった。それは犯行の手口が「今まで通り」ではないからである。

 FAXの例のように、効率ばかりを追求した結果、却って手間が増えている例は他にもたくさんあるように思う。

 私がこの記事を通して言いたかったのは「日本人はマニュアル通りに動きすぎなので、もっと柔軟に臨機応変に対応した方がよい」ということではない。

 機に臨み変に応じるというのは、所詮は事後のことである。
 原発事故などの最悪の事故は起こってしまったらおしまいであり、事後にいくら上手に対応しても遅い。

 永遠に続くかのように思っている「日常」の中で、多くの日本人はふと立ち止まって考える余裕を持たない。

 究極的に効率化されたフローの中でタイトなスケジュールをこなしている人々は、「今まではこうだったけれど、これからは違うかもしれない」と思いを巡らせる時間がない。


 「日本病」を放置したままでいると、もっと大きな病気を誘発することだってあるだろう。