暫定龍吟録

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ハイネ『諸神流竄記』とギリシャ財政危機


 昨年2012年に海外から来たニュースで日本でも話題になったものに、ギリシャ財政危機のニュースがあった。

 財政が危機的状況に陥っているのは何もギリシャだけではなく、イタリアもスペインも、そしてもっと大きく言えばEU、ユーロ自体が危機的である。
 だが、ギリシャは選挙があったこともあり、EUの中に留まってEUからの支援を受け続けるのか、それともEUから離脱して独自の経済路線で行くのかが注目された。

 結局はEU内に留まることになったわけだが、ギリシャ国内には反発も多かった。それはドイツを中心とする「EU」から「緊縮財政」を強いられているからだ。
 緊縮財政とは、簡単に言うと、「無駄遣いをするな、もっと税金を払え」ということ。だがギリシャ国民からすれば「私たちはただでさえ貧しい生活を送っているのに、さらに増税されるの?ささやかな贅沢すら許されないの?」という気持ちがあった。大国ドイツから上から目線で命令されるのは懲り懲りだった。

 一方、「ユーロ(経済)」の代表たるドイツの側にも言い分があって、「なぜギリシャ人は真面目に働いて節約しないのか」、「本当に経済を立て直す気があるのか」、「なぜ自分たちの税金であんなに出来の悪い国の面倒を見なければならないのか」という不満がある。
 しかもドイツはギリシャを助けてやってるのに、あべこべにギリシャから文句まで言われる始末。それなら、もういっそ見放したほうがいいのではないか。

 だが、ギリシャ国民たちの心の中には一つの思いが燻っている。それは、ドイツというヨーロッパの中心にある経済大国が、自分たちのようなヨーロッパの端っこにある小国を虐めている、という思いだ。

 ドイツ国民たちは、「ギリシャは少し異質なのではないか」「ギリシャはひょっとしたらヨーロッパじゃないんじゃないか」と思い始めていた。

 それでもドイツはギリシャを切り離しはしなかった。
 なぜヨーロッパはギリシャを見捨ててしまわないのか。それはヨーロッパにとってギリシャが「ふるさと」であるからではないだろうか。


 そこまで思って、私は19世紀のドイツの詩人、ハインリヒ・ハイネの『諸神流竄記』を想い起こした。

 この本の中でハイネは、キリスト教に追われた大陸古来の神々の哀れな末路を深い共感を込めて描いている。

 昔々、ヨーロッパ全土に圧倒的な勢いでキリスト教が広まるやいなや、ギリシャの神々はその崇高な座から引きずり降ろされた。
 その後、ギリシャの神々は動物に化けたり覆面をしたりして森の中でひっそりと暮らさなければならなかった。そうした落ちぶれた生活を余儀なくされた神々をハイネは次のように書いている。

世界の真の主が十字架の旗を天の城にうちたて、偶像破壊に血道をあげる狂信者ども、つまり僧侶の黒い一味があらゆる寺院を破壊し、追放された神々をさらに火と呪いのことばをもって追いかけまわしたとき、異教の神々はふたたび逃亡を余儀なくされ、可能な限りの覆面をして人里離れたかくれ家に住まいを求めなければならなかった。これらの亡命者の多くは気の毒にも雨露をしのぐ軒も、神としての食物もなく、今や、せめて日々の糧を得るために人間庶民の手仕事をしなくてはならなくなった。そういう事情のもとで、自分の聖なる社を没収された神々のうちには、わがドイツで木こりとして日雇い労働をし、ネクターの代りにビールを飲まなければならなくなった神もある。



 こうした零落したギリシャの神々の姿をこんなにも愛着をもって描いたのが、またドイツ人のハイネであるというのも面白い。

 私には、今の「ユーロ(EU)対ギリシャ」という構図が「キリスト教対ギリシャ神話の神々」に重なって見える。
 そしてドイツはそのEUの中心であり、象徴的存在である。現在のローマ法王ベネディクト16世がドイツ人だというのもなにか象徴的だと感じる。
 まさにドイツを中心としたキリスト教ユーロ圏が、ヨーロッパの隅っこで落ちぶれているギリシャをどう扱うか悩んでいるのだ。

 しかしギリシャの貧しい日雇い労働者たちは、かつてこの大陸に君臨していた、あのオリュンポスの神々である。

 ヨーロッパの人々は、貧しい生活に苦しむギリシャの人々の姿に遠い昔の神々の面影を見、なにかこの人たちを見捨ててはいけない、と感じとっているのかもしれない。

 だが、ギリシャにとっては、ユーロがギリシャをも飲み込んだということがすでに「火と呪いのことばをもって追いかけまわし」て来たということなのかもしれない。


【参考文献(文中の引用も)】
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、1980