暫定龍吟録

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気象予報士はなぜ天気予報を外しても謝らないのか

 この冬、東京において、天気予報が1月14日には「雪が積もる可能性は少ない」と予想したら大雪になり、2月6日に「大雪」と予想していたら全然積もらなかった、ということが話題になった。

 これは多くの都民にとって大きな影響が出る雪に関わる予報だったから偶々大きな話題になったが、天気予報が予想を外すことはしょっちゅうある。
 私はNHKの天気予報を見ることが多いが、朝7時頃の天気予報で「今は雨が降っていますが、この雨は朝のうちだけで、9時頃からは日差しが出て来て日中は穏やかに晴れるでしょう」と言っていたのに実際は9時になっても雨は止まず11時過ぎまで雨が降っていて、一日の予定が大きく狂ってしまったこともある。前日のうちの予想ならまだしも、当日の朝7時の段階で僅か2時間後の天気も予想できないなんて。

 で、朝の天気予報を大きく外した日に、夕方か夜の天気予報のコーナーで謝罪があるかと思って期待して見るのだが、ひとことも謝罪の言葉がない。あれだけ大きく外したのだから「ごめんなさい」の一言ぐらいあってもいいだろうと思うのに、気象予報士が謝っているのを聞いたことがない。
 「なぜ大きく予報と違ったかと言いますと、南岸の低気圧が思っていたよりも発達しなかったからなんですね」とか「西側の高気圧が予想していたよりもあまり大きく張り出してこなかったため」などと“弁明”を聞くことはあるが、私が聞きたいのはなぜ外れたのかの説明ではなく、「外しちゃってごめんなさい」という言葉である。

 なぜ、気象予報士は天気の予想を大きく外してしまっても謝らないのか。

 それには、大きく三つの理由があると私は思う。
 以下、テレビの天気予報を例にとりながら、「その一」、「その二」、「その三」と分けて見ていこう。


その一、気象予報士が予想したのではないから

 気象予報士が独自に自分のウェブサイトやテレビの天気予報コーナーで「気象庁は明日は雨って言ってるけど私は降らないと思う」などとまったくオリジナルな予想をしているのを見たことがない。許可を得ていなければ予報業務ができないということもあるが、せっかく気象予報士を呼んでいるのだから独自の見解が加味されてもいいはずだが、大抵の場合は気象庁の予想したデータを日本気象協会が原稿化?したものを天気予報コーナーで読み上げているだけである。そんなことは別に気象予報士でなくてもできる。実際、時間帯によっては気象予報士ではなく、普通のアナウンサーが天気予報を読み上げていることもある。

 もちろん、気象予報士は視聴者に分かりやすく伝える工夫はいろいろしていて、明日がどれだけ暑くなるのかをわかりやすく伝えるために汗をたくさん書いている人のイラストを使うなどさまざまな趣向を凝らしている。しかし、そうした工夫はイラストを描くのが上手な人にやらせればいいのであって、気象予報士の本来の仕事は天気を予想することのはずである。

 現況、テレビに出てるような気象予報士は、気象庁の予想をただ視聴者に伝えているだけである。だから予想が大きく外れても「予想を外したのは私じゃない」「文句があるなら気象庁に言ってください」と思っているだろう。

 気象予報士は「気象解説士」と名前を変えるべきではないかと私は思っている。


その二、勝手に予想しているから

 普通、プロというものは失敗は許されない。
 例えば、コンサルタントや投資アドバイザーなどの場合、依頼者が「先生、これからどの株が上がるのでしょうか。これで一つ教えてください。お願いします」と言って纏まった金を渡す。お金を受け取ったアドバイザーは「わかりました。私もプロですから任せなさい。これから伸びる有望株をお教えしましょう」と言う。
 しかし予想が大きく外れてしまったら、さすがにそのアドバイザーは詫びなければいけなくなるだろう。依頼者はプロとしての先生を信頼して大金を包んだのに、外れたら怒りも沸いてくるというものだろう。

 だが、気象予報士は違う。天気予報を誰かに頼まれたわけではない。「先生、こいつで一つ明日の天気を占ってください」と金を手渡されたわけではない。

 天気を予想してくれと誰も頼んでいない。

 テレビ局は気象予報士に「来てくれ」と頼んでいるが、それは気象予報士がいないと天気予報をしてはいけないことになっているからであって、「見事に明日の天気を当ててくれ」と頼んでいるわけではない。

 つまり国民の誰一人として、明日の天気を予想してくれと頼んだ覚えはない。

 気象予報士は誰に頼まれたわけでもないのに、勝手に明日の天気を予想しているのである。だから謝らなくてもいいのである。
 元々が頼まれてやっていることではなく、自分の好きで勝手にやっていることだから、外れたからといって別に謝らなくてもいいのである。


その三、受け取り手に問題があるから

 上記二つに加えて理由があるとするなら、それはテレビやネットで天気予報を見ている日本国民の間に問題があるだろうと思う。

 日本人は昔から“自然”を“しょうがないもの”として捉えてきた。「人智の及ばざるところ」とか「自然のことだからしょうがない」とか。

 “自然”をコントロール下におこうとしてきた欧米世界とは随分異なる。イタリアでは地震予知に失敗した科学者が罰せられたぐらいだ。

 気象予報士が取り扱っている対象である「気象」「天気」はまさに“自然”のことである。だから日本では、天気予報を見ている大多数の国民が、「まあ、自然のことなんだから外れてもしょうがないよね」という捉え方をしている。
 そして気象予報士自身も「天気はそりゃ自然現象なんだから思い通りに行かないことだってありますよ」と考えている。

 つまり、日本人全体が「明日の天気はお天道様や雷様だけが知っている」みたいな感覚でいることが、気象予報士への追及に繫がらず、よって謝罪もなくてよいということになる。
 これは特に日本人独特の自然の捉え方だと思う。


結び

 私が考える「気象予報士が天気予報を外しても謝らない三つの理由」は上記の通りである。ただし、テレビの天気予報コーナーに出ている気象予報士を主に想定した話であり、民間の気象会社(およびそこに出向している気象予報士)は上記の限りではない。

 受け取り手である私たちも、安易にテレビやネットの天気予報に頼るのではなく、どうしても明日の天気を高い精度で知りたかったら、専門の気象会社にお金を払って頼むべきなのだろう。

 だがその他にも天気予報関聯のことでは、たくさんの疑問がある。例えば、NHKが気象庁が発表したものを予報(報道)するのに、なぜ日本気象協会という1クッションを入れなければいけないのか、とか、気象予報士とは抑々何なのか、とか。私は未だに気象予報士とは何者なのかが解っていない。気象予報士の存在意義とは一体何なのかも。また、これだけ民間の気象会社が発達してきたら抑々、気象庁の存在意義が問われてくるだろう(天気予報部分に関して。火山・地震情報等は除く)。気象庁はもう予想はしても発表はしなくていいのかもしれない。

 そして、「気象予報士」などという国家資格を作ったにもかかわらず、未だに「予想」の大部分は気象庁が担っており、気象予報士はそれを「伝える」部分しか担っていない(特にテレビなどの天気予報において)というのも問題があると思う。

 昨年(2012年)、米国で行われた大統領選挙で、ニューヨーク・タイムズのネイト・シルバーは、独自の予測手法を用いて全50州すべての予想を的中させ話題になった。

New York Timesの選挙予測専門家、ネイト・シルバーは昨夜、大統領選の勝敗を全50州で的中させた。 その一方で、いわゆる政治専門家たちの予想はほとんどが外れた。中には笑うしかないような外れ方をした者もいる。

ネイト・シルバーについてはテレビのゲストに呼ばれる政治専門家が口を揃えて「リベラルに偏った見解」と非難してきた。しかしシルバーは今回も彼の作った数理的予測モデルが古臭い専門家の勘や生半可な統計に基づく推測より圧倒的に優れていたことを証明した。
大統領選でニューヨークタイムズのネイト・シルバーの数理モデル予測が全50州で的中―政治専門家はもはや不要? TechCrunch Japan(2012年11月8日)


 ネイト・シルバーという個人は、大手のテレビ局が高名な政治専門家を招いて行なった予想をはるかに上回る精度で予想を的中させてみせた。

 ビッグデータ時代の到来に伴い、今、確率や統計の分野では革新的な手法が次々に登場している。そうした新しい手法を用いて「大本営」の気象庁が発表する予想を大きく上回る精度の予想を立てる気象予報士というのがもっと出て来てもいいと思うのだが。



(2013/2/11追記)

 この記事は別のサイトで、かなりたくさんの批判をいただいた。

 批判の多くは、天気予報が外れたぐらいで「謝罪しろ」なんて器が小さい、というような内容だった。

 私は謝罪しろとは言っていない。
 天気予報が外れて一日の計画が大きく狂ってしまった場合などに、個人的な心情として謝りの言葉がほしいと感じることはあるが、本文に書いた3つの理由によって、気象予報士は謝らなくていいのだ、と言っている。

 記事本文中にも、(気象予報士は)謝らなくてもいいのだ、と二回も書いているのに、なぜ誤解されてしまったのだろう。

 おそらくタイトルの付け方が悪かったのだと思う。
 「なぜ~謝らないのか」という書き方だと「謝れよ」と言っているように聞こえる。

 この記事はライブドアニュースで再配信され、そこでは「気象予報士が謝らない3つの理由」というタイトルになっていた。そっちのタイトルの方が誤解を招かずによかったかもしれない。

>まぁ予想屋に憤る前に自分で天気図読めと。テレビ画面越しの気象予報士と視聴者との間には何の契約関係もない。

 まさにその通り。私は気象予報士にお金を払って「明日の天気を当ててください」と頼んだわけではない。だから気象予報士は別に謝らなくてもいいのである。

>筆者は、予報をタダで入手していることについても、考察すべきではないでしょうか。

 これについては本文中に「どうしても明日の天気を高い精度で知りたかったら、専門の気象会社にお金を払って頼むべきなのだろう」と書きました。

>天候の完全予測など不可能である。

 それは私もその通りだと思う。

>謝っていた予報士さんもいたような気がしますが、

 それはキショウ(稀少)な予報士さんですね!自分もNHKだけではなく、もっといろいろな天気予報を見るべきだと思いました。