暫定龍吟録

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戦争世代論 ~天皇はなぜいつまでも戦争責任を問われ続けるのか

 戦後、もう60年以上も経つが、いつまでも「天皇の戦争責任」を問う声が一部で燻っている。

 昭和天皇は平和を愛したお方であられたのに、そしてその天皇の御意に反して軍部が始めた戦争であるというのに、なぜ天皇の戦争責任がいつまでも問われるのか。

 この問題について昔からさまざまな議論があるが、私は世代論の観点から一つの試論を述べてみたいと思う。

 「天皇は戦争世代ではない」

という観点から。

 なお、この記事では「太平洋戦争」という言葉を用いるが、昭和16年から昭和20年までの対米英戦争を念頭に置いている。


戦争世代ではない昭和天皇

 私は子供の頃早くから、自分の家と天皇家とが、世代がずれているということに気づいていた。

 現・皇太子の御年齢は、私の年齢からも私の父の年齢からも離れている。また、今上天皇の御年齢は、父の年齢と祖父の年齢の真ん中にある。つまり、ちょうど交互に食い違っている。

 図で描くと以下のような感じ。
tennouke02.jpg

 私の家のような庶民の家と天皇家を並べるのは不遜で畏れ多いことだが、話をわかりやすくするためにこのように描く。

 私の祖父は大正生まれで、ドンピシャで戦争世代である。戦地に赴き、多くの同世代の仲間を失った。
 大正生まれの祖父が昭和時代の戦争に参加したのだ。

 当たり前のことだが、多くの人がうっかりしがちな事実は、

昭和天皇は昭和生まれではない

という事実である。

 昭和天皇は明治34年生まれ。
 今上天皇(平成の天皇)は昭和8年生まれ。

 つまり、昭和天皇が戦争世代でないのみならず、天皇家が「戦争世代の家」ではないのだ。


戦争に関する知識の「逆転現象」

 私は高校生の頃、年上の人、皇太子様と同じ世代の人たちと話をしていた時、彼らがあまりに戦争のことを何も知らないのに驚いた。彼らは自分の父親も祖父も戦争に行ってないから家庭で戦争の話を聞く機会がなかったのだ。彼らより歳が若い私の方が祖父から戦争のリアルな話をたくさん聞いていたおかげで戦争については詳しかった。

 一般的に時代が下っていくにつれて戦争に関する知識は一様に少なくなっていくと思われがちだが、家単位で見てみると、戦争世代の人がいる家庭といない家庭があり、それによって、若い世代の人の方が却って戦争のことを知っている、という逆転現象が起こる。もっともこれからは戦争経験者がいなくなってくるので、こうした逆転現象も起こらなくなるだろうが。


軍隊は20代が中心で、30代は「老人」扱い

 太平洋戦争にかぎって言えば、昭和16年の開戦の年に、昭和天皇は40歳。今上天皇は僅か7歳。
 どちらにしろ、戦地に行く年齢ではない。

 天皇はなぜ戦地に行かれなかったのか。
 多くの人は、「高貴な家柄の人だから」、「尊いお方だから」と思っている。しかし、仮に天皇が一般庶民であったとしても、年齢的に戦地に赴くことはなかったのだ。

 召集令状(通称「赤紙」)は、誰に配られたのか。
 成人の男性すべて、と言われているが、70歳や80歳の男性が兵隊として駆り出されたとは考えられない。

 どこの国でも、だいたい軍隊というものは20代の青年を中心に構成されていると言う。30代で「老人」扱い。40歳以上の人は一部の志願兵とかを除けば、現場には少なかっただろう。

 つまり太平洋戦争開戦時に、すでに40歳であらせられた昭和天皇は、年齢的に言って兵隊として召集されるような御年齢ではなかった。
 また、開戦時、7歳であらせられた今上天皇は、終戦時でさえ、まだ11歳。

 つまり、戦争時、家族の中に戦争世代の人がいる家庭といない家庭があった。
 「銃後を守る」という意味では、戦時中に生きていたすべての人は「戦争世代」と言えるかもしれないが、ここでは実際に兵隊として戦地に駆り出された20代から30代の人のことを戦争世代と呼ぶことにする。


開戦を決めたのは明治生まれ、実際に戦地に行ったのは大正生まれ

 以下、開戦の意志決定に関わった(と私が考える)主な人々の生年を記す。

寺内寿一(明治12年生)
杉山元(明治13年生)
東條英機(明治17年生)
板垣征四郎(明治18年生)
鈴木貞一(明治21年生)
木戸幸一(明治22年生)
近衛文麿(明治24年生)
岸信介(明治29年生)

 ご覧のとおり、全員、明治生まれ。明治30年代、40年代生まれもここにはいないことから、当時の大正生まれの若者たちは、開戦の意志決定にほとんど関わっていないことがわかるだろう。

 明治生まれの「大人」たちが、「もう、こうなったら戦争するぞ!」と決めて、「よーし、おまえら行って来い!」と大正生まれの若者たちを戦地に行かせたのである。
 戦争することを決めた世代と、実際に戦地に行った世代は大きく異なっている。
 上記の人たちも戦争には参加しているが、上記の「世代の人たち」が最前線に行っていたわけではない。

 太平洋戦争で兵隊として召集されたのは、主にどの世代だったのか。生年別に纏めた資料があるかと思って調べてみたが、見つけられなかった。
 私の推測では、おそらく上は明治40年代生まれぐらいから下は昭和2年生まれぐらいまでだと思う。


世代の問題に拘る理由

 私はこのブログでも過去に何度か世代論を取り上げてきた。世代の問題を語ると「不毛な世代論を語るな」と言う人がいる。でも私は世代論を語ることが不毛なことだとは思わない。私は世代の問題に拘りたい。

 祖父は同世代の仲間を戦争でたくさん亡くした。
 20代というのは、普通、恋に遊びに勉強に、人生の中でも最も輝いている楽しい時期のはずだ。それなのに、祖父の20代はなぜ真っ暗だったのか。上下の世代が普通に楽しい20代を送ったのに、なぜ大正生まれの人間だけがこんなに真っ暗な青春時代を送らなければならなかったのか。

 昔から一部の左派の人たちの間で、天皇の戦争責任を問う声が渦巻いている。しかし、そうした左派の人たちでさえ、天皇が“身分”において一般人よりも特別扱いされていることを問題視しているだけだ。
 だが、戦争の時代を肌身に知っている人たちの中に、もし天皇の戦争責任について蟠った気持ちを持っている人がいるとしたら、それは啻に身分の不公平のみならず、世代の不公平を感じているからではないか。にもかかわらず、自分たちでも今まではっきりとそのことを自覚してこなかったのではないか。

 「天皇は平和を願っておられたし戦争責任はないと思うんだけど、なんかモヤモヤするんだよなあ」と今まで思っていた人に、そのモヤモヤを解消するための一つの視点として、この「戦争世代論」を提供したい。

 もっとも、この記事は、世代の問題を際立たせるために、やや話を単純化している。

 昔は一般的に今よりも兄弟の数が多く、一番上の姉が母親代わりだった、とかいう話はざらにある。つまり、上図のように綺麗に等間隔に並ぶわけではなく、一つの家の中でもっとグラデーションが長くなるのである。
昭和一桁生まれ世代の人などは、「俺は戦争に行かなかったけど、一番上の兄貴は戦争に行った」などという人も多い。
 天皇家も、昭和天皇の歳の離れた弟君である三笠宮崇仁親王は大正生まれで「戦争世代」であり、実際に軍人であった。

 この記事で私が訴えたいのは、世代の問題であり、天皇の戦争責任の問題ではない。

 「明治生まれの人たちだって戦争を経験してるのでは?」
と言う人がいるかもしれないが、日露戦争のような「勝ち戦」と、太平洋戦争では規模も何もかもが違いすぎる。

 「世代間の不公平とか言ってもしょうがない。終わったことをああだこうだ言ってもしょうがない。青春時代が戻ってくるわけじゃないんだし」
 確かに、終わったことをどうこう言っても取り返しはつかない。しかし私は「しょうがない」で済ませたくはないのだ。
 あれほど苛酷で悲惨な戦争体験を「しょうがない」という言葉で済ませたくはない。祖父の20代は戻ってこないけれども、こうして「世代の問題」を語ることで、私たち以降のこれからの世代の人たちにこうした不幸な世代を作り出すことを少しでも防ぐことができれば、と思っている。

 そのための、これは一つの試論である。


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