暫定龍吟録

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丸山眞男をひっぱってきたい ―丸山眞男生誕100年―


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via:iwanami.co.jp


 「引っ張って行きたい」ではなく「引っ張って来たい」。

 丸山眞男を牽引していく力など私にはない。

 丸山眞男が生まれてから今日で100年。
 今年2014年は、丸山眞男生誕100年になる。
 この記念すべき年に丸山眞男をひっぱってきたい。
 この思想界の巨人の思想は今でも色褪せていないどころか、寧ろこれからの時代に、より必要になってくるだろうと思うからだ。

 2007年、赤木智弘は『「丸山眞男」をひっぱたきたい』という文章を発表した。時代の問題点を鋭く突いた文章で、大きなセンセーションを巻き起こした。
 私はこれを読んだ時、世代論という観点から大いに共感した。よくぞ書いた、そして『論座』もよくぞ掲載した、という気持ちだった。

 しかし唯一、ひっぱたく相手を間違えている点が気になった。

 なぜ間違いか。
 それは、丸山眞男は「当事者」という立場から発言しているからだ。世代論的に見るならば、なおさらそうなのだ。
 赤木は同じ立場の人を叩いてしまっている。

 今日は、丸山眞男の「当事者性」と、赤木がなぜひっぱたく相手を間違えているのか、さらに丸山の思想の根幹である「時間」と「前提」について考えたい。


10代の頃に抱いていた丸山眞男のイメージ

 私が子供の頃は、丸山眞男はまだ生きていたこともあり、そんなに「巨人」とか神格化はされていなかった。
 丸山は日本の思想界においては途轍もなく大きな影響を放った人だから、丸山について論じた文章はたくさんあったが、批判的なものが多かった。
 10代の頃は丸山についてほとんど何も知らず、そうした批判的な文章を断片的に目にし、この人はなんでこんなに嫌われているんだろう、戦後に戦争を批判したから?後出しジャンケン的なところが嫌われてるのかな?と思っていた。


丸山の“当事者性”

 大学生になって『日本政治思想史研究』を読んだとき、丸山の言葉が深く印象に残った。

 普段、本に線を引いたり、ノートやメモをとったりする習慣のない私が、授業中にノートを取ったことすらない私が、『日本政治思想史研究』の中の丸山の言葉だけは印象に強く残り、ノートに書き写し、その後何度も何度も読み返した。

逆説的に響くけれども社会秩序が自然的秩序として通用しうるのは、当該秩序が自然的秩序と見える限りそうなのだ。もしそこで政治的安定性が著しく損われ、社会的変動が顕わに現象するに至ったならば、もはやその社会の根本規範が自然法であるという基礎づけは一般的な受容性を喪失する。自然法的基礎づけは社会の安定化へと作用すると共に、社会のある程度の安定性を前提としているのである。その場合(朱子学の場合の如く)自然法が即自然法則とされようと、仁斎の様にその規範性が意識されていようと変りはない。法則は同一事態の繰返しを予想しているし、規範(Norm)も平常的(normal)な状態をのみ考慮に入れている。社会関係が自然的な平衡性を失い、予測可能性が減退するや、規範乃至法則の支配は破れる。規範はもはやそれ自身に内在する合理性のゆえに自から妥当するのではない。いまや誰が規範を妥当せしめるのか、誰が秩序の平衡を取戻し、社会的安定を回復させるのかが問われねばならない。


 この箇所を繰り返し繰り返し読んだ。私は子供の頃から「時間」や「前提」の問題に興味があったが、そうしたものを論じている思想家や評論家にはそれまで出会ったことがなかった。
 丸山のこの文章に出会い、「時間」や「前提」のことを深く考えている人がいる、と思った。

 それと同時にこの文章が書かれた年を見て、私がそれまで抱いていた「後出しジャンケンの人」というイメージが謬見であったことに気づいた。
 これは戦時中に書かれている。そして何より、丸山自身が大正四年生まれであり、ドンピシャで「戦争世代」である。
 丸山は決して戦争に行かずにのらりくらりと、安全な象牙の塔から下々を睥睨しながら発言していたわけではない。

 丸山は当事者ではないか!


丸山の二つの側面

 丸山眞男という人物を語る時に二つの側面があると思う。

 それは例えば、今、丸山眞男について書かれている簡単に読める二つの新書・選書があるが、この二書がまさにその二側面を表している。

 一つは竹内洋『丸山眞男の時代ー大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書)

 もう一つは田中久文『丸山眞男をよみなおす』(講談社選書メチエ)

 この内、竹内のは、丸山と戦後政治の関わりについての記述が主である。俗に「丸山政治学」と呼ばれる思想が戦後社会にどのような影響を与え、またどのように批判されてきたのかが詳しく書かれている。

 そして、田中のは、現代政治、つまり全共闘とか戦後民主主義といった話題ではなく、丸山の著書から丸山の思想の根幹に迫っていく本である。

 この二書は丸山を語る時の二面性をよく表している。
 どちらも丸山眞男である。「現代政治」に焦点を当てるか「思想」に焦点を当てるかの違いである。


思想が本業、政治は副業

 丸山の専門は政治思想(日本政治思想史)だから、政治と思想を切り離して言うのもおかしな感じだが、敢えてこういう言い方をするなら、思想が本業で政治は副業だった。
 田中久文が上記の本の巻末に紹介しているが、丸山は現代政治の分析や評論を「夜店」と呼び、政治思想史の研究を「本店」と言っていた。本業、副業という言葉は使ってないが、私は「思想が本業で政治は副業」という意味に理解した。

 その本業である思想の方になかなか焦点が当たらないのは、なんとも残念なことだ。

 丸山に対する批判は常に現代政治評論家としての側面、つまり、「戦後民主主義の旗手」としての丸山、「政治屋」としての丸山に向けられていた。
 丸山は確かに戦後政治(当時は現代政治)にいろいろ口を出したが、それはあくまでも副業なのだ。
 思想を政治に仮託して喋ってしまうと、具体的で個別的な批判ばかりが戻って来てしまう。
 丸山が自身に対するたくさんの批判にほとんど取り合わず反論しなかったのは、その批判のほとんどが「副業」に関することだったからであろう。


学生運動の時代を知らないはずの赤木

 私は世代的に全共闘だとか東大紛争だとかは知らない。赤木智弘だってリアルタイムには知らないはずだ。ところが、赤木が「丸山眞男をひっぱたきたい」と言う時、その時代の丸山を引っぱって来てしまっている。そしてその当時の丸山批判の視点まで継承してしまっている。

 当時の丸山批判の視点は簡単に言ってしまうと、象牙の塔の一番高いふかふかの椅子に座って下々を睥睨しながら能書きを垂れるくそったれインテリ、といったところだろうか。

 これは確かに丸山と同時代を生きていた人たちが「なんであいつだけ、あんなふかふかの椅子に座って悠然としてるんだ!」と不満をぶつけた視点である。

 だが、赤木は丸山とは当然まったく世代も違うし、学生運動の時代も知らない。だからこそ、昭和30年代、40年代なんかすっ飛ばして、それよりもっと前の丸山の思想を見るべきなのだ。
 それを、戦後政治の世界における丸山を見て、「上流階級の丸山、下々の俺たち」みたいな見方しかできないのは、つまらないし、もったいない。
 そのような見方は「政治論的」な見方である。
 赤木はせっかく世代論を語ったのだから、もっと世代の問題に的を絞るべきなのだ。そして丸山もまた世代論を語った。丸山は赤木にとって同志でありこそすれ、ひっぱたく対象ではない。


丸山はなぜ時代を語ったか

 丸山眞男という人は「時間」の重要性をよくわかっている人だった。
 時間の重要性と言っても、「時間は貴重だ」とか「時は金なり」ということではない。

 丸山は大正四年生まれ。真っ只中の戦争世代だった。
 二十代から三十代の始めにかけて青春時代は戦争一色だった。
 同世代の仲間をたくさん戦争で失った。丸山自身も召集された。

 丸山は、「あと一回り早く生まれていれば、あと一回り遅く生まれていれば、戦争に行かなくて済んだのに」と思ったに違いない。
 実際、戦争に行ったのは大正生まれの人間がほとんどで、明治生まれの人間の大半は「高齢」を理由に戦地には行ってない。丸山より一回り年下の昭和初め頃生まれ世代もだいたい戦地には行ってない。(ただし、戦局が悪化した昭和20年は学徒出陣といって10代の昭和生まれの若者も動員された)。

 丸山は特定の世代だけが不利益を被るということを身をもって感じていた。まさにそういう当事者世代だったからこそ、世代について考え、そこから時間についての考察を深めていったのだ。


戦争が起きても世代間を跨いだ流動化は起こらない

 赤木は「希望は戦争」と言った。
 理由は「流動化するから」だった。
 月収10万のバイト店員も年収1000万の一流企業エリートサラリーマンも、召集された戦地では同じラインに立つ。月収10万の俺が年収1000万の奴の横っ面をひっぱたく機会も出てくる。
 だから赤木は戦争を「希望」した。

 だが、赤木は大事な点を見落としている。
 それは、戦争による「流動化」は上流階級と下流階級、あるいは今時の言い方なら勝ち組と負け組の間では起こるかもしれないが、世代を超えては起こらない、ということだ。

 氷河期世代の赤木が「希望は戦争」と言ったのは彼が31歳の時。
 もしそこで早速戦争が始まれば、赤木は年齢的には兵士として赤紙で召集されていただろう。
 しかし彼より一回り上のバブル世代は、兵士としては「高齢」を理由に召集されず、彼より一回り年下のゆとり世代は「未成年」を理由に召集されず、結局、彼の世代だけが戦争に行かされていただろう。
 バブル世代の人間は家でテレビを見ながら、「ああ、若い人たちはかわいそうねえ、たいへんだねえ」などと言っていただろう。そしてそのテレビ画面には「希望叶って」土埃に塗れて行軍している赤木の姿が映っている。

 結局、戦争が起こっても、赤木はバブル世代やそれより上の高度経済成長を享受してきた世代の横っ面をひっぱたくことはできないのだ。


割りを喰った世代の丸山眞男

 赤木がなぜひっぱたく相手を間違えているか、という話はこれぐらいでいいだろう。

 丸山は割を喰った世代、不運世代という意味では、むしろ赤木の仲間なのだ。

 それどころか丸山は、こうした世代間の不公平、不平等に対して早くから警鐘を鳴らしていた。

 赤木は、戦争が起これば、前線に行く人間だけでなく銃後の人間も含めてすべての国民が同様に苦しむことになる、と考えて言ったのだろうが、そうだとしても、所詮、その時、生きていた人間だけである。そのうち「戦争を知らない」世代が生まれてくる。

 赤木は世代論を語っていながら、せっかく学生運動などを知らない世代でありながら、政治屋としての丸山を見てしまっているのが残念である。
 「資本家と労働者」とか「雇う者と雇われる者」とか「ブルジョワとプロレタリアート」とか、そういう昭和30年代、40年代的視点はすっ飛ばそう。上流階級と下流、勝ち組と負け組という視点ではなく、どうしてそれ以前のもっと根元的な丸山の「思想」を見ないのか。


前提を疑うこと

 丸山の偉大なところは、時間と前提の問題を語ったところ。こうした問題意識は先の『日本政治思想史研究』や『歴史意識の「古層」』、『「である」ことと「する」こと』といった論文の中に窺いみることができる。

 もっと前提を疑っていかなければならない。
 自分が今いる環境を知らず知らずの内に「Norm」だと思ってしまって、それを「常識」としてしまう。

 そして、さらに問題なのは、そこから「教育」や「政治」などの次の行動を引き出してしまうことである。
 教育や政治を行うときは、社会そのものの変化、それに伴う常識の変化などを変数として計算に織り込まなければいけない。

 その変数の読み間違い、というより、そもそも読んでいない、ことが数々の歪みを生み出す。丸山はその歪みによって現代人は「ノイローゼ」に苦しむことになっている、と言っている。
 ノイローゼぐらいならまだいいが、歪みの中で命を落としたら、それはもう取り返しのつかないことだ。

 「戦時」を、「あの時は間違ってた」とか「一時的に異常な時代だった」と言って片付けようとしても、その一時的に間違ってた時に命を落としてしまった人間はどうなるのか。
 そういう「一時的にミスった」時代に生まれて訳も分からず亡くなった赤ちゃんはどうなるのか。

 「逆説的に響くけれども社会秩序が自然的秩序として通用しうるのは、当該秩序が自然的秩序と見える限りそうなのだ」と言うとき、丸山は「限り」という前提を強調している。なぜ自然的秩序に見えるかと言えば、それは「法則は同一事態の繰返しを予想している」からだ。ここに丸山は時間の流れを看て取っている。時間が流れて「社会関係が自然的な平衡性を失」えば、「予測可能性が減退」し、「規範乃至法則の支配は破れる」と言っている。
 この指摘の意味は重い。
 世代が違えば、環境や条件は異なってくる。
 どこから「自然」が立ち上がるのか。
 「常識」とは何か。

 丸山は前提を疑うことを教えている。


今の行動もすべては前提

 今の行動の根拠となる判断が前提から生まれるように、今の行動そのものも、次の時代の前提となる。丸山が言っていることは当たり前なことかもしれないが、こうしたことを確と自覚できている人は少ない。

 丸山は、「いまは民主主義の世の中だから」とか「日本は民主主義の国である以上、この秩序を破壊する行動は……」といった言い方を「状態的思考」と批判したが、私はこれに「これも時代の流れだから…」という言い方を付け加えたい。「流れ」というと動態的に聞こえるが、結局は流れを如何ともしがたいムードとして捉えてしまっている、これもまた「状態的思考」である。

 現代は社会の変化のスピードが増し、私は丸山が今から70年以上も前に言った「予測可能性が減退」するという予言を、日々実感しながら生きている。

経験的な人間行動・社会関係を律する見えざる「道理の感覚」が拘束力を著しく喪失したとき、もともと歴史的相対主義の繁茂に有利なわれわれの土壌は、「なりゆき」の流動性と「つぎつぎ」の推移との底知れない泥沼に化するかもしれない。現に、「いま」の感覚はあらゆる「理念」への錨づけからとき放たれて、うつろい行く瞬間の享受としてだけ、宣命のいう「中今」への讃歌がひびきつづけているかに見える。すべてが歴史主義化された世界認識―ますます短縮する「世代」観はその一つの現れにすぎない―は、かえって非歴史的な、現在の、そのつどの絶対化をよびおこさずにはいないであろう。


 時代は『歴史意識の「古層」』のむすびで語られた丸山のこの予言通りになっている、と感じる。「非歴史的な、現在の、そのつどの絶対化」が疾くに立ち現れているにもかかわらず、多くの人は無自覚的に「讃歌」を聴きあるいはうたい、「底知れない泥沼」に絡め取られている。

 私がひっぱってきたいのは、政治屋の丸山ではなく、思想家の丸山眞男。世代論的な「時間」と「前提」を語る視点。
 前提の“限りに”成り立っている社会。その前提を不断に問うことを丸山は教えてくれる。

 「政治」を切り離すのは、現代においてはもう丸山が生きてきた時代ほど、政治が大きな影響力を持っていないからだ。だからわざわざ政治を切り離して、まるで「古層」から掘り出すように、思想家としての丸山眞男を、丸山眞男の「思想」を、ひっぱってくる必要があるのだ。

 日本の歴史意識の古層を鮮やかに示し、時間と前提の重要性を教えてくれた丸山眞男そのものが古層に埋もれてしまうようなことがあってはならない。
 丸山眞男は「(丸山眞男は)もうわかった」と言うことを許さない思想家だ。それは丸山眞男の思想そのものが「不断の検証」を説いている思想だから。
 生誕100年は時代のなりゆく過程の一断面にすぎないが、丸山眞男を考え直す契機にはしたい。