暫定龍吟録

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中村屋のボース 〜来日100年記念〜

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 戦後70年の今年、太平洋戦争(大東亜戦争)を振り返るさまざまな企画をテレビでも新聞でもネットでも見かける。

 戦争への反省、日本はなぜ戦争へと突き進んでしまったのか、という反省的な視点の一方で、憲法解釈を変更して、世界の戦争に日本が参加しやすくなるようにする動きもある。

 右派の人の中には、大東亜戦争は西洋列強からアジアを守るための正義の戦争だった、と言う人もいる。中国、韓国を除くアジアの多くの国々から今でも日本は感謝されている、それが証拠だ、と言う。

 私は、そういう一面もあっただろう、と思う。戦争の理由は一つではなくて、いろんな人のいろんな思惑が交錯して輻輳して、事態は巻き上がっていくのだ。

 戦争の初期の頃、いや戦争前夜の時代に、真剣に「アジアの解放」を考えていた人たちもいた。そして戦争の過程で真剣に「大東亜共栄圏」を考えていた人たちがいた。

 今日は、そんなことを考えていた人たちの中の一人、インド独立運動の闘士、「中村屋のボース」が来日してからちょうど100年の日にあたる。

 私が初めてボースのことを知ったのは2005年、書店で『中村屋のボース』という本を見かけたときだった。
 そのときは、「ああ、チャンドラ・ボースのことか」と思って通り過ぎた。

 しかし後で調べてみて、チャンドラ・ボースとは違う、もう一人のボース、「ラース・ビハーリー・ボース」だと知った。
 インドには「ボース」という名前の有名人は多い。だが、チャンドラ・ボースとラース・ビハーリー・ボースは共にインド独立運動の闘士なので、少し紛らわしい。

 インドで事件を起こし、英国警察からマークされていたボースは、日本と共闘するために、警察の目をなんとか搔い潜って日本にやってくる。
 そのときはたまたま、インドの詩人タゴールが来日する、という話があって、タゴールの親戚だと嘘をついて日本にやって来た。タゴールは当時、日本でも知名度の高い大詩人だったから、日本の警察も疑うどころか、親戚の方にお目にかかれて光栄、みたいな感じだったらしい。

 しかし、そうは言っても、英国が重要人物として指名手配しているだけあって、日本でのびのびと暮らすことはできない。

 縁あって新宿の中村屋というパン屋の奥の小屋に匿われることになった。

 それで、ラース・ビハーリー・ボースのことを一般に「中村屋のボース」と言う。

 ボースはけっこう恰幅のいい体型の男だが、まるでアンネ・フランクのように小屋にじっと息を潜めて暮らす生活はどんなものだったろう。


 ボースの最終目的はもちろん、インドの英国からの独立であったが、そのために日本を「利用した」、日本は「踏み台」に過ぎなかった、と考えるのは違う。

 ボースは日本語に堪能になり、和服を着、日本国籍を取得し、日本人女性と結婚し、子供をもうけた。礼節を重んじ、「日本人より日本人らしい」と言われた。日本に溶け込もうと努力した。

 しかし、そんなボースを日本は助けられなかった。

 ボースを慕い、支援する人はそれなりにいたが、日本政府はボースの期待には答えられなかった。それどころか裏切り続けた。

 日本に期待して来日したボースは、日本に裏切られ失望の内に亡くなっていった。

 「右翼の大物」頭山満も、思想的に大きな影響力を誇った大川周明も、結局はボースを中途半端にしか助けられなかった。

 日本に期待して日本にやって来て、そして失望していった人はボースだけではない。

 中国の孫文、汪兆銘、ビルマのアウンサン、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、あるいはそれに先立つ時代の韓国の金玉均、フィリピンのホセ・リサール、みんな日本へ来た。
 そして日本はこれらのアジアの英雄たちの期待に応えられなかった。

 今、日本のネットやテレビで、「あの国は親日、あの国は反日」と分ける表現をよく見かける。国民の態度が親日的であるというのは、日本人としてはたしかに嬉しい。

 しかし、あの戦争前夜から戦争期にかけての頃、アジアにたくさん居た親日の人たちの期待に応えられなかったこと、応えるどころか、結果的には裏切ってしまって来たことを、現代の日本人はもっと考えるべきではないか。

 それでもネット右翼たちは「勝手に来て、勝手に失望されてもwww」と言うのだろうか。

 世界から尊敬もされず期待もされない国でいいのだろうか。

 日本の国力は衰退の道を辿っているとは言え、私は今でも世界の多くの人々が日本の「良心」に期待していると思う。
 米国一色の世界も中国一色の世界も望まない人たちの日本に対する潜在的期待というのは大きいと思う。

 大学時代、先生が中国人留学生に向かって「なんで日本なんかに来たの?」と聞いたことがあった。
 「そんなに優秀なんだから日本の大学なんかじゃなくて米国の大学にでも留学すればよかったのに、もったいない」という意味だった。
 そんな「日本なんか」で学んでいる私たち日本人学生はどうなるのだ、と思ったけど、残念ながら先生の言うとおりだった。

 日本の大学も政治も社会も、すべて外国人のために存在しているわけではない。
 しかし、外国から期待すらされない国であるのはさみしい。

 余談だが、ラース・ビハーリー・ボースは、独立運動家だから、基本的には政治活動以外で目立った活動はしていないのだが、どうも日本のカレーだけは我慢がならなかったようで、「インドのカレーはこんなんじゃない!私が本場インドのカレーを教えてやる!」と言って、レシピを書いた。

 それで元々パン屋だった中村屋から「中村屋のインドカリー」が発売されて、「恋と革命の味」として一躍有名となる。「革命」はボースの政治活動、「恋」は中村屋の娘との結婚のことだ。
 今でもコンビニで目にする「中村屋のインドカリー」。このボースの形見を見るたびに、私はこの国の来し方と今の在り方を思う。

 ボースは、彼らは、日本に何を期待していたのだろう。
 そして、今の日本にもそれだけの魅力があるだろうか。


【参考文献】
  • 中島岳志『中村屋のボース』白水社