暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

追悼 千代の富士

千代の富士の相撲が好きだった。
大横綱、千代の富士の相撲は強いし美しかった。小兵力士ではあったが強靭な腕の力で寄り、投げた。千代の富士以降、大相撲の世界ではさらなる「大型化」が進んで行ったが、江戸、明治の頃の力士はこんな風だったのではないか、と思わせる、最後の「日本の横綱」という感じの力士だった。
2016年7月31日、千代の富士の訃報が走った。
国民栄誉賞の人の訃報なので、本来ならトップニュース扱いされるべきところだったが、その日は生憎、都知事選の日で、ニュースは都知事選の話題ばかり。その後もこの夏はリオオリンピックや、政治的社会的にもビッグニュースが多く、千代の富士逝去のニュースが霞んでしまったのはさびしいことであった。
千代の富士の訃報を受けて、元横綱の朝青竜が「横綱たちの横綱」というコメントを出した。歴代の横綱が集まったら、その中で横綱、という意味だろう。
歴代の横綱の中でいったい誰が一番強いのか、つまりそれぞれ最盛期の時の横綱を一同に会わせて総当りで対戦したら、誰が勝つのだろう、というのは、相撲ファンならずとも興味のある話題ではある。
私は千代の富士が「史上最強」かどうかは分からない。「最強候補」ではあろう。昭和以降であれば、他に、双葉山、大鵬、北の湖、貴乃花、白鵬あたりも強そうだ。
だが、最も「美しかった」「かっこ良かった」のは千代の富士だ。私にとっては。
体が小さいということは、体重をかけて押すということができないので、それで勝つのは、つまり腕の力が凄まじかったということだ。そして押されても押し負けない下半身の強靭さも兼ね備えていた。強さだけでなく靱やかさも併せ持っていた。
相撲は、強さと美しさと両方が大事だと思っている。単なる「スポーツ」ではない。「格闘技」でもない。千代の富士の雲龍型の土俵入りは比類の無い美しさだと言われている。
今後、このような「美しくかっこ良い」それでいて強い力士が現れて来てほしいと思う。


猛烈な日差しが照りつける夏の日、そっと手を合わせた。
thumb_IMG_5523_1024.jpg

小柄なイメージが強い千代の富士だが、手を重ねてみると、指の先は2センチほど余り、指の幅も太く、やはり一般人に比べたら全然大きくて逞しい手なのであった。
thumb_IMG_5516_1024.jpg

この左手であの強烈な左前みつを取ったんだ。
墓にも。蟬噪を忘れるほど、亡き横綱に思いを馳せながら静かに手を合わせた。
thumb_IMG_5529_1024.jpg

正確には、これは千代の富士の墓ではない。私が参った時はまだ千代の富士の告別式が行われておらず、千代の富士はここには埋葬されていない。千代の富士のご家族の墓である。そしてこの後、千代の富士がこの墓に埋葬されるのかどうかも分からない。
後ろの卒塔婆には、零歳で亡くなった三女の娘さんの名前が見える。モデルとして活躍する梢さんの妹にあたる。三女を亡くした時の千代の富士は、周囲から「もう二度と相撲は取れないんじゃないか」と心配されたほどの憔悴ぶりであったという。
thumb_IMG_5539_1024.jpg

仁王立ちする千代の富士の像。その見つめる視線の先には先に逝った愛娘が。
強く美しき大横綱、安らかに。