暫定龍吟録

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「信」の行方 〜孔子とビットコイン〜

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 ビットコインはよく「トラストレス」であると言われる。だが、これは誤解を招きやすい言葉だ。

 ここで言うトラストレスとは、お金のやり取りをする相手が誰であるかを信頼しなくていい、ということであり、ビットコイン自体を信頼しなくていい、ということではもちろんない。取引をする相手がどんな人か分からなくても取引はできる。代わりにビットコインを信頼しているからだ。

 では、ビットコインを信頼するとはどういうことか。

 周知のようにビットコインには中央銀行のような発行主体がない。その代わりにビットコインの「技術」を信頼している。技術は「暗号」によって成り立っている。そしてその暗号は「数学」に依っている。ビットコインの信頼の基盤は数学だけではないが、少なくともビットコインを持ったり使ったりしている人たちは、「数学の問題を簡単に解くことができない」ということを信頼している。

 『論語』に「信なくば立たず」という有名な言葉がある。今これを仮に「孔子の定理」と呼ぶことにしよう。「立つ」、つまり暗号通貨として成立するためには、孔子の定理には寄れば、「信」は必要である。

 ビットコインは今、数百あると言われる暗号通貨のトップに君臨している。このトップ通貨の地位に「立つ」ためにもまた「信」が要る。ビットコインがなぜ他の暗号通貨よりも人気が高いかと言うと、それは信頼度が高いからである。数学を根拠にするだけなら、同じ暗号を用いている暗号通貨はビットコインと同じくらいの人気や時価総額がなければいけない。でも、そうはなってない。

 ビットコインの場合は、運営のあり方、ブロックチェーンの技術力の高さ、ブロックチェーンの長さや、それに対するノーダウンタイムの長さなど、さまざまな「信」が加わって人気を保っている。

 だが今、その「信」の行方があぶない。

 2017年11月中旬に固い分岐が計画されている。これは従来の「出て行く分岐」とは違って、主鎖の「乗っ取り」であると考えられる。

 基本的には固い分岐は信を傷つける。「伝統」が揺らぐからである。この分岐が起こった場合、どちらの鎖を信じるか、という問題が出て来る。あくまで「Longest Chain」の方を「真」と見做すか、それともDNA的に正しい「血統」を継いでいる方を「真」と見做すか。もし「乗っ取り」が成功した場合は、何を「ビットコイン」と呼ぶか、という名称の問題も出て来るだろう。その場合は「Bitcoin」という名前の商標登録を持っているところが何某かの力を持つことになるかもしれない。

 分岐、分裂が行われた後に、ビットコインは力強く値を戻すかもしれない。それを見て人々は「ほら、ビットコインは大丈夫だったじゃないか」と言うかもしれない。だが、「時価総額がある」ということと「信がある」ということとは違う。「値」は「虚構の信」の上に築かれることがある。値だけを見て判断するのは違うのだ。

 孔子の定理は破れない。子貢が政を問うた時に、孔子が軍備や食糧よりも「信」を優先させたのは、それがこの世界が安定的に成立するための基盤だからだ。

 ビットコインは思ってるよりもずっと危うい「信」の上に成り立っている。短期的なバブルは別にして、長い目で見れば、ビットコイン(他の暗号通貨もそうだが)が、きちんと成長していけるかどうかは「信」にかかっている。言い換えれば、「信」をどれだけ育てていけるかだ。短絡的な目的で分岐を繰り返せば繰り返すほど、ビットコインは「信」を毀損していく。

 関係者は、今一度『論語』でも読んで「信」について、ビットコインの在り方について、考え直すことをお勧めする。