暫定龍吟録

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読書とは何か

 先日、丸善で、籠いつぱいに本を買つてる人を見て驚いた。それも文庫本などの軽い本ではなく、辞典やらハードカバーの重厚さうな本ばかり、籠からあふれんばかりに。
 それだけの本を読みきれる自信があるといふことも驚きだが、それよりも「金持ちだなあ」といふのが一番の感想だ。だつて、一冊5000円としても籠の中には10冊以上あつたから、5万円以上。本屋で一回の買ひ物で5万円も使ふなんて。

 私は、本屋にはよく行くけれども、本は滅多に買はない。第一の理由は「金が無いから」。第二の理由は買つても「狭い家の中に置く場所がないから」。第三の理由は「そんなに本を読まうと思はないから」。
 二番目の理由の方は、これから電子書籍が普及していくにつれて解消していく問題かもしれない。だが、紙から電子になつても金は必要である。

 読書家と世間で呼ばれてゐる人たちは、勉強家である前に金持ちであると思ふ。

 それはともかく、読書家と呼ばれる人たちは、この大量情報化社会において、月に20冊以上といふハイペースで大量の本を読破していく。本屋に毎日のやうに新しく登場する新刊出版物も、彼らによつて次々に読み倒されていく。

 さて、読書家たちのかうしたスタイルは、はたして「勉強家」などといつて褒め称えられるものなのだらうか。

 本屋で、平野啓一郎の『本の読み方 スローリーディングの実践』といふ新書を見かけた。

私たちは、日々、大量の情報を処理しなければならない現代において、本もまた、「できるだけ速く、たくさん読まなければならない」という一種の強迫観念にとらわれている。「速読コンプレックス」と言い換えてもいいかもしれない



 はてなブックマークなどにあがる「最低でも読んでおきたい10冊の本」だとか「東大の先生がすゝめる100冊の本」などといふ類のエントリーを見てはこれらの本を次々に早く読まなければと思ひ、勝間和代などの「できる」人が薦めてゐる本を見てはそれも読まなければと思ひ、Amazonなどの書評で絶賛されてゐればそれも読みたいと思ひ、Socialtunesで本を次々とチェックする。そんな強迫観念に追はれてゐる人々には、ぜひ、かういふ本をこそ読んでもらひたい。いや、読まなくてもいい。スローリーディングの大切さ、読書とは何か、といふことがわかればそれでいい。

 『本は10冊同時に読め!』などといふ本がよく売れて、平野のかうした本が注目されない世の中を私は憂ふ。

 私はもとより遅読家である。能力的に速読できないといふのもあるが、速読しようと思はない。仮に速読できたとして、1ヵ月に30冊の本を読んだとして、それは何かの記録か金字塔なのか。
 本は何のために読むのか。もし、今月読んだその30冊の内の1冊の中に「もう、本は読むな」と書いてあつたら、それについてあなたはどう思ふのか。
 本の中のメッセージをどう受け止めるかは問題だ。メッセージを受け止めて、その日からあなたの行動が何らか変はらなければ、本を読んだ意味がない、と言つても言ひ過ぎではない。

 多くの本は辞書ではない。たゞ知識を詰め込むだけの「辞書的な読み方」をしてゐる人がゐたら、それは改めるべきである。行動が改まつていくならば、もうこれ以上本は読めないはずなのだ。

 読書とは何か。平野啓一郎はかう言つてゐる。

本当の読書は、単に表面的な知識で人を飾り立てるのではなく、内面から人を変え、思慮深さと賢明さをもたらし、人間性に深みを与えるものである



 一考すべきである。そしてそれがわかつたら、今日から行動を変へるべきである。


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