暫定龍吟録

反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017

「ノー・ネット・デー」を読んで思ったこと

「ノー・ネット・デー」を設けて思ったこと : ITpro

を読んだ。

 この著者は、帰宅してからネットをするときについついビールを飲んでしまふ。そこで健康上の理由から、週に2日、ネット(ビール)をやめることにしたのださうだ。
 ネットを利用しなくなった時間は読書に充てるやうになり、今までの生活に比べて、ずつと生産性が向上したと言ふ。

 なんだか分かるやうな気がする。
 「ネットを使つても、生産性を上げることはできる」と反論する人もゐるかもしれない。たしかにさうだ。ネットより読書の方が生産性が高いとは限らない。ネットは自分から情報を発信したり、何かを創造したりすることもできる。
 だが、ネットをそのやうに“能動的に”、“生産的に”使へてゐる人は少ないのではないだらうか。多くの人はネットを“受動的に”、“非生産的に”しか使へてゐない。

 友人・知人のブログを見て回り、コメント欄に半ば“義理的に”コメントを書いて回る。あるいはまた、返事を書く。ミクシィ日記でも同じやうな「儀式」を繰り返し、さらにはメールの返事も書く。
 かういふことで、一日の数十分や数時間が潰れてしまつてゐる人も多いのではないだらうか。

 このやうなことは大体、生産性のあることではない。こんな「儀式」の遂行を、毎日欠かさず馬鹿丁寧にやるよりも、読書でもした方が、たしかに生産性がありさうだ。
 コメントやメールにはすぐに返事を返さなければいけないと思つてゐる人も多いやうだが、仕事ではないのだから、一日遅れの返事でもよいのではなからうか。

PCにしろ携帯電話にしろ,仕事や趣味に大変役立ツールであることは確か。だが,ツールであるはずのネットが,それを利用することだけが最終的な目的になりつつあるようだ。

といふ、著者の考へに共感。
 私が時々「反インターネット」的なことを言ふと、「ネットは賢く使へば便利な道具である」と言ふ人がゐる。たしかにさうなのだが、そのやうに「賢く」使へてゐる人は少ないだらうと思ふのだ。

 せつかくの「インター(相互性)」を備へたネットなのに、テレビと同じやうに、ほゞ受動的にしか使へてゐない人は多いと思ふ。「情報を浴びる」だけのために、PCの前に座る(携帯を手にする)人は多いと思ふ。さういふ人は皆、ネットに振り回されてゐるのだ。

 しかし、この著者は、よくぞ「ノー・ネット・デー」を設けることができた。この著者はITproの記者だから、常にネットの最新情報を得てゐなければいけないだらうに。
 かういふ立場の人がかういふ記事を書くことに意義があるんだと思ふ。