暫定龍吟録

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それでも東京を選択しない

 田舎は好きだが、それでも東京を選択する。-ミームの死骸を待ちながら

 こちらを読んで、大都会東京で生まれ育つた者として逆の立場から感想を述べてみたい。

 私は東京の中でも大都会と言はれる街で生まれ、小学校の時に、より都心部の街に引つ越して育つた。


・機会の数が桁違ひ

 上記エントリでHash氏も指摘してゐるが、東京は機会の数が桁違ひに多い。逆に言ふと田舎は機会の数が桁違ひに少ない。Hash氏は「平凡と言っていいほどの平和さで高校までの18年間を過ごし、大学入学と同時に東京で一人暮らしを始めた」とさらりと言つてのけてゐるが、これがどんなに恵まれたことであるのかを全然理解してゐない感じだ。
 私は中高時代から田舎に憧れ、大学進学をきつかけに田舎で一人暮らしを始めたいといふ夢を持つてゐた。だが高校に入り大学選びを真剣に検討するにつれ、それはかなり困難なことであることが判明してきた。なぜなら、

 “田舎には大学がない”

 田舎に行けば行くほど大学がない。仙台や福岡のやうな地方の大きめの都市にさへ、あまりない。あるのは県に一つづつの国立大学か、ナントカ工業大学、ナントカ経法大学、ナントカ芸術大学、といつた専門に特化した大学だけだ。私立の総合大学は、日本の場合、そのほとんどが東京、大阪、京都に集中してゐることが判つた。中でも東京への集中度がすごい。私は伝統と歴史のある大学に行きたかつたのだが、日本の歴史ある大学はほとんどが東京の都心、山の手地区に集中してをり、すべて自宅から電車で簡単に行けてしまふ距離にあり、家を出て一人暮らしをする口実とするに足りなかつた。

 「田舎には機会がない」

 田舎に進出する機会がない。私は結局田舎へ行くことをあきらめ、東京都心の大学に進学し、その後も現在に至るまで都心に住んでゐる。


・足下の宝を見つけよ

 ともかく、私のやうに、変化と新しいものと刺激が大嫌ひな性格には東京は合はない環境であると言へるかもしれない。それでも、「隣の芝生は青い」とばかりに他を羨んでばかりゐてもしかたない。地元の良さに気付けるか気付けないか、それが重要だ。
 例へば、私の家の近所に東京国立博物館といふ博物館がある。こゝは世界屈指のミュージアムであると言つて間違ひない。世界最高レベルの日本美術の、東洋美術の粋がこゝに集まつてゐる。特別展に行かずとも常設展で国宝級の美術品の数々を目にすることができる。だが、東京人でもこの博物館のすばらしさを知つてゐる人は案外少ない。東博の常設展にも行つたことがないで、わざわざ遠い外国まで出かけて行つては、やれオルセーだのルーブルだのと言つて騒ぐ。足下にある宝が見えてないのだ。
 
 田舎も同じこと。東京に来てうんぬんと言ふ前に、まづは地元の田舎の良さを発見することの方が先だ。


・地元を捨ててはいけない

 このエントリは、特に田舎にゐる中学生や高校生に伝へたいと思つてゐる。
 「とりあへず」東京に来たりなんかするな。
 Hash氏も上記エントリの中で「能動的に動かないと無駄なので」と言つてるが、まさにその通りで、東京にはたしかに田舎にくらべてたくさんの機会があるが、あまり能動的でない人間にとつては、それらの無数の機会は単に目の前を流れていくだけだ。
 「おもしろい人も多い」とあるが、「留学してるよ」とか「大学院受け直す」とか「起業する」などといつた話は東京でも高学歴の人の間にしか出てこない話だ。二流以下の大学では「大学院」だの「起業」だのといつた話は周囲の人の口から出てこない。

 東京は悪いところだと言つてゐるのではない。東京人として東京の悪口は言ひたくない。たゞ、明確な理由や目的もなく東京にやつて来たら、おそらく地元に留まつた時よりももつと無意義な人生を過ごすことになるだらうと思ふだけだ。
 まづは地元の良さを見つけること。もし、地元が魅力的ではないなら、魅力的な街にしていけばいい。
 
 最近、海外在住の日本人が、日本を捨てゝ海外へ行かう、みたいなことを言つてネットで話題になつたが、

海外で勉強して働こう-On Off and Beyond

やはり、日本人として日本を見捨てゝはいけないのと同様に、東京人は東京を見捨てゝはいけないし、田舎の人は田舎を見捨てゝはいけないのだ。

 田舎には、SUICA、24時間ATM、Google Street View、e-mobileや無線LANがないのか。すばらしいことではないか。少なくともこのすばらしさに気付かないうちは東京に来るな。