暫定龍吟録

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「成功」の理由を考える

 good2ndといふブログの「運の良さを噛み締めて」といふ記事を読んだ。

 http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080301/1204336629

 著者は、「格差社会の問題は、苦しんでいる人の一人一人がそれぞれ「勝てばいい」という話じゃない」と言ふ。それは、格差社会には「つねに一定の弱者が存在する」からだ。

 この見方は鋭い。だが又、かういふ見方ができる人は少ない。昨今は、雑誌でもブログエントリーでもハウツーものの記事が人気を博してゐる。さういつた記事を書く人の多くは、格差社会の問題も社会問題として捉へてゐない。例へば、「いくら社会が氷河期でも、うまくやり抜いて成功した人もゐる」といつたことを強調したがる。社会がどうであれ、やり方次第で個人の人生は成功に持つていくことができる、といふわけだ。

 さうぢやない。勝ちたい個人が成功を収めれば済む話ぢやない、といふのが、このgood2nd氏の主張だ。個人の話ではなく、社会の話なのだ。
 そして、「社会のせいにしてもしかたがない」、「犯人探しになど意味はない」などと言ふ人たちに対しては力強く次のやうに言ふ。

犯人を探したところで「今すぐ」問題が解決するわけじゃないというのは正しいが、「意味がない」というのは欺瞞だ。僕達は、絶対に「犯人探し」をするべきなのだ。そうしなければ、「社会」の問題は解決しない。



 そして、それに続く指摘は出色である。

成功した人々は、自分の力でそうしたと信じたいものだ。それはよくわかる。今の自分があるのは、自分が何にもくじけることなく頑張ったからだ、と思いたいものね。


 でも、と著者は言ふ。

よく考えてみれば、今の自分があるために、努力なんかよりもよっぽど沢山の運に支えられているはずなんだ。努力したのはわかる。そうだろう。人一倍したんだろう。それはとても意味のあることだ。でも、「人一倍の努力」が実を結ぶためには、運が決定的な役割を果たすってこともまた、認めるべきなんだ。そう思えば、今の自分が持っているものを「当然のこと」とは言いきれないんじゃないかと思う。そしてそのとき、自分がたまたまそれを得ることができた事に対して、責任を感じるはずだと思う。



 私も以前から、似たやうなことを感じることがあつた。

 TV番組の「トップランナー」とか「プロフェッショナル」といつた番組には何かの分野での一流の人が毎週登場する。その一流の人たちに司会者がインタビューをすると、必ずと言つていいほど「努力は裏切らない」といつた類の答へが返つてくる。そして「視聴者へのメッセージをお願ひします」と聞くと、「最後まであきらめないで」と言ふ。

 番組に登場する一流の人たちは口を揃へてさう言ふ。なぜか。それは一流の人たちは皆、もれなく(その分野における)成功者であるからだ。一流になつた人といふのは一部の成功者である。このやうな一流の人は、たしかに「自分は最後まであきらめずに努力した」のだらう。その結果、今の成功があると思つてゐる。だが、その成功はあくまでも「結果」だ。その原因が「人一倍の努力」にあるとは限らない。
 よしんば、その成功が「努力」の結果であつたとしても、それは結果として見た場合の成功者のみに当てはまることだ。結果として成功に終はつたからこそ「努力のおかげ」と言へるのであつて、結果として失敗に終はつてゐたら「努力は裏切らない」なんて言へない。そして現実には、多くの人はそのたゆまぬ「努力」にもかゝはらず、最後まで成功を手にすることはできないのである。

 だから、TVに出る一流の人は簡単に「最後まで夢をあきらめないで」なんて言はないでほしい。世間の人たちに対して影響力の大きい一流人だからこそ、good2nd氏の言ふやうに「運の良さを噛み締めて」発言してもらひたい。

 「成功」と「失敗」の間にある格差の問題を社会の問題として捉へ、一人一人が責任を感じて生きていけるやうな社会になればいいと思ふ。  

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